1999.04.16

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photo and text : Sato Jun Ichi
●カール・ユングは易を立てるときに、彼の別荘のあるチューリッヒ湖畔の葦を筮竹として用いていたという。それにあやかろうというわけでもないが、利根川中流域の河原に葦を切り出しに出かけた。もちろんついでに水門も撮影しようという目論見である。易者がじゃらじゃらやってる、あの竹のことを筮竹と呼ぶのだが、実は50本必要なのである●特に意味もなく右岸で25本、左岸で25本切り出すことにした。右岸で程良い長さのやつを25本切り出してから左岸に渡り、水門を3つほど撮影して残りの25本を切り出す。太すぎず細すぎず、かつ節と節の間隔が適当に長いものは結構、探すのに骨が折れる。折からの菜の花が咲き乱れる誰もいない夕方の河原で、だんだん乏しくなる光によってシャッタースピードが遅くなるのをむしろ楽しみながら、デジタルカメラのシャッターを押し、そしてまた葦を探す。親指の爪が伸びていて、葦を折るときに折れ曲がって邪魔になるのが気になる。2月の撮影旅行の時からカメラバッグに爪切りを入れっぱなしにしていたのを思い出し、水際に出て爪を切ることにする。利根川に流れていく自分の爪を見る。たとえ一部であっても、体を川に流して葬ってしまう、という行為は必然的にガンジス川的風情を呼ぶわけで、われながら妙なことをやっているわいと思わず苦笑してしまう●晴れたり曇ったりしていた空が妙な光の加減になってきたのに気付く。西の空の下の方から強烈なオレンジ色の斜光線が差し込んできたのだ。夢中になってシャッターを切りながら歩く。基本的にかなり暗くなっているから、歩きながら菜の花を撮れば必然的に流し撮りになる。調子に乗って流しまくる。完全に思考が飛んでいる●その時いきなり、閃光とほぼ同時に頭上で大きな雷鳴がとどろいた。さすがに肝をつぶしたが、同時に割と冷静にやばいな、とも思った。こういう場合は金属物をすべて放り投げ、低いところに伏せなくてはいけないのが作法だ(笑・・・今だから笑ってられるということもあるが)。しかし、極めて幸いなことに、大きな橋の手前100メートルぐらいに来ていた。前の水門から本当に何もない河川敷を2000メートル以上歩いてきているから、助かった、と言える。橋の下に入った時に大粒の雨が降りだした●雨が止んで雷雲が東の方向へ抜けるまで、結局40分以上、橋の下に居た。いろいろ考えたが、やはり死というのは案外、近いところにころがっているのではないか、ということが大半であった。生身の人間が雷雲の下の何もない河川敷にさっきまで立っていたのである。しかも金属質のものをたらふく身に付けて。高確率で落雷をくらう可能性があった、ということだ。