新小名木川水門・・・心なごむ日本の風景

2006.01.04

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photo and text : Sato Jun Ichi



依然としてハードコア・・・扇橋閘門



みんなの閘門・・・荒川ロックゲート
●このコラム、またしても約1年半ぶりの更新です。水門ファンの皆さんほんとお元気でしたか? ●今年は水門の写真集というのを出版してみよう!・・・と年の暮れから年頭にかけて猛然と沸き起こって来た野望(動機は全く不明。天の啓示のごとく唐突に来た)のおかけで、放置状態だったこのサイト(もちろん気にはしてたです)も再興を図るべくあちこち手を入れておりました。そんなことしてるとそのうちに実際に水門の顔を見に行きたくなります。代替わりしているカメラで撮影に行きたくなります。しかし今年の冬は寒くって、東京でも最高気温が5度まで行かなかったりで、やっぱり春まで待とうとか考えて結局うだうだ状態に陥ります。でも荒川ロックゲート、まだ見に行ってないしなあ。こんなご近所にニューな閘門ができたっていうのに見てないっていうのも立場上なんだかなあ。こないだメールくれた人はオープニングイベントだかなんだかで船でゲート通過したっていうしなあ ●というわけで2006年の仕事初めと称して、寒いけど江東区方面に出動です。JRを両国で降りてブルーシートハウスの立ち並ぶ隅田川テラスを歩き、まずうっかり未収録の竪川水門(0478:わたしの勝手な水門整理番号。以下同じ)へ。97年の撮影ノートを開くとちゃんと撮影したことになってて、工事中、平成10年完成とか書いてある。もちろんとっくにとっくに完成しててもう周囲となじみまくっていた。サイトに未収録だったのは工事中だったからか単に撮影に失敗した(当時は当然まだフィルムの時代)からだったか、もう忘れてしまった。それにしても30過ぎてから8年や9年はあっという間に感じる。この感覚ってどんどん加速するらしいですね。隅田川を少し下ってから小名木川に入り、新小名木川水門(0033)へ。97年当時はここも工事中で、3つあるゲートのうちまだひとつしかできてなかったでした。当時はゲートがまっ赤で、今は水色。前にも書いたけどゲートはやっぱり危険を喚起する色の方がいいと思います。いくら水が出るからって消防車のボディカラーを水色にはしないものね ●小名木川をそのまま東へ。そういえばこの7、8年のあいだ、都内にはものすごい数のマンションが建ったものだ。このあたりも例外なく増えています。かつて工場や倉庫が並んでいた川の両脇はもうマンションだらけと言ってよいでしょう。その中には渦中の一棟もあって、1月の4日だというのに引越トラックが並んでいた。その某耐震強度偽装マンションと位置は前後するが、やがて扇橋閘門(0034)にたどりつく。あいかわらずガード固いね。接近しにくいから撮影もしにくい。でもゲートはまっ赤なままで実にたのもしい。寄らば切るぞというもうバリバリにハードコアなイメージですね。遊びじゃないのよ水門は、という風情です。ゲートにでかでかと「 前 扉 」とか書いてあるのも実は好きなポイント。2枚しかないんだから前か後ろか見たらわかりそうなもんなんだけど、それがもう見てもわからなくなる凄い状況(つまり遊びじゃない)というのがきっとあるんでしょう、とにかくそういう質実剛健な仕事をホウフツとさせるのであります ●扇橋閘門から奥の小名木川はぐっと水位を下げて、土地の雰囲気もぐっと柔らかくなります。交差する川も埋められて親水公園になってて、まさに牙を抜かれた感じ。そういえばこの感じは何かに似ています。小名木川はかつて水運の幹線でした。江戸川を遡って江戸東京と関東平野各地と結ぶ船はみーんなここを通ったわけです。それがこんな姿になっている。そうそう、あれだ!「しなの鉄道」とか「青い森鉄道」とか。かつて信越本線や東北本線だったのに、新幹線ができたおかげで一部区間だけ第三セクターのローカル線になっちゃった区間だね ●何でこういう話をだらだら書いているかというと、今日中に荒川ロックゲートはなぜできたのか、という問題に到達する必要があるからです。えーっとそれでその、かつての水運の幹線だった小名木川は、荒川放水路(みんなが知ってるあのぶっとい荒川最下流部のこと)の開削によって途中で分断されてしまったのです。いやこれじゃウソだな。分断されたのは小名木川じゃなくて、中川とそれを越えた先にある新川なんだけど、まあとにかく荒川放水路ができたおかげでいろいろと不都合がおきたわけ。たとえば水位差の問題とか。荒川放水路というぶっとい川をわざわざ掘ったのは、基本的に船を通すためじゃなくて洪水を流すためなんだね。もし洪水の流れる(水位の高くなった)川を他の川とそのままつなげば洪水はあちこちに回り込んでしまう。それを止めるために水門が作られる(言うまでもない)。そして水位差を保ったまま船を通すためのテクニックが閘門ということになるのはみなさんもご存知の通り。とにかく荒川放水路ができた当時、小名木川(正しくはそのちょっと先の旧中川)から荒川放水路に船を通すための閘門がつくられた。これが小松川閘門(0040)で、埋まったまんまで今でも残っている。重要なのはこの閘門はある時期につぶされて、その後は小名木川から荒川に直接抜けることはできなくなっていた、という点。去年(2005年)できた荒川ロックゲートは、機能的にはこの小松川閘門の生まれ変わりと考えてよいと思われます ●で、いま小名木川を東に向かって歩いていたのだけど、前方の丘にその「小松川閘門の埋まったやつ」が見えてきた。丘と見えたのはスーパー堤防であり、めざす荒川ロックゲートはそのちょっと南にあった[ちょっとマニアな話:その同じ位置に97年当時、小名木川水門(0049)という廃水門があった。コラム1998年4月29日版にも写っている通り、ツタなんかからまっちゃってちょっといい味出していた。その廃水門は閘門じゃなくてただの水門で、しかも水と接していないダミー水門だった。その経緯についてはよくわからない] ●いやあ、できたての水門っていうのは何だかしっくりこないもんですね。どこもかしこもぴかぴかで恥ずかしいくらいです。立て看板によると、年末にはクリスマスイルミネーションとか仮面ライダー響鬼ショー(!)とか開催されたらしい。単なる荒川閘門じゃなくて、愛されるみなさまの荒川ロックゲート。世間の耳目を集めんと仕掛けただけのことはあります。うーん、時代は変わったのだ。わたしが水門ウォッチングをサボっているうちに! ●閘室(船が入り込んで水位が上下する部分です)の両脇は何と野外劇場の観客席みたいになっている。ショーの観客はここに座るわけだ。そうすると仮面ライダー響鬼は水上バイクでゲートをくぐって登場したのだろうか(水上バイク、通過禁止なんだけどね)。ライダーにパンチをくらった怪人や戦闘員は真冬の閘室に落ちたりしたのだろうか。そうだとしたらそれはちょっとした見物であったろう。そしてクリスマスイルミネーション!!!。水門にイルミネーション、ですよ。これが21世紀なのだ。そしてイベントに集まったちびっ子たちはきっとそれぞれ、閘門の思い出を心に刻み込んだに違いない。大きくなったらしっかり水門マニアになってくれ。そうすればいよいよ時代はわたしのものだ ●「こちらは荒川ロックゲートです。4時半になりましたらゲートを閉めますのでなんたらかんたら」スピーカーから声がする。いろいろ思いをめぐらしていたわたしはてっきり、4時半になったらあのでっかい鋼鉄のゲートが閉まって船が通るものだと思い込んで、観客席で喜んでカメラを構えていた。でも船は来ない。視線を感じて振り返ると、観客席に人間が出入りする金網のゲートのところに、作業服姿の男がこちらを見て(お客さん、カンバンですよ)という表情で立っていた。