埋 没 す る 日 常



【1997年10月】



1997/10/27

●最近ずっと聴いていたCD。

1・高橋悠治リアルタイム4 糸の歯車 (FONTEC FOCD3156)
2・スンダ音楽の極致 (JVC VICG-5264)
3・GREN BRANCA / SYMPHONY NO.3 GLORIA (ATAVISTIC ALP08)
4・MESSIEN - VISIONS DE L'AMEN / PETER SERKIN & YUJI TAKAHASHI (BMG BVCC-7426)
5・KACAPI SULING - CINTA / L.S.GELIK (RICE GNR-003)

若い頃の高橋悠治の才気あふれる演奏[*4]と、近年の抑制され冷たく乾いた叙情性を感じさせる曲[*1]と、同時に聴いている。さらに9月の東京オペラシティのオープニングシリーズを聴きに行ったときに彼が指し示してくれたのはスンダ音階で、さっそくJVCのワールドサウンズシリーズから1枚[*2]。これは良かった。スンダ(西ジャワ)の音階はペロッグとスレンドロという二つがあって、このうちペロッグは琉球音階とそっくりなのである。カチャッピという琴とスリンという竹の縦笛による小編成の合奏はガムランより現実味のある音楽で、日常的に聴くことができる。JVC盤は伝統的な演奏だが、街頭でカセット売りされるような現在進行形のカチャッピ・スリンを紹介してくれるのが[*5]。わずかに西欧的味付けのされた奏法に最初違和感があったが慣れれば快適。それはこのスタイルが今に生きていることの何よりの証拠だろう。純正調という調律に興味があったのでハリー・パーチを聴いてみたがピンと来なかった。しかしグレン・ブランカ[*3]は面白かった。近代の12平均律というのは単なる支配的な〈制度〉でしかなかったのだなあ。で、1オクターブをどうやって割るか、という音階のシステムについて書かれたものを読み出すはめになった。



1997/10/26

●これまた4か月ほどサボっていた、暗室作業を再開しようとしたが、部屋の整備で終わってしまった。夏に作り直した4x5のピンホールカメラをポラロイドバックしか付けられない仕様にしてしまったこともあって、暗室での現像もプリントもずっとお休み状態になっていたのだ。密着焼用の光源に号数フィルターがちゃんと付くように作り直したりしていたら、あっという間に一日が終わってしまった。風呂場と兼用のこの狭苦しい暗室は、整備すればするほど暗室で風呂に入っている風情になってしまって、ますます情けない。



1997/10/23

●4か月ほどサボっていた、ピンホールで水門を撮るプロジェクトを昨日から再開した。2月の個展が終わってすぐにスタートして、6月の梅雨の最中まで続けて中断していた。さすがに雨の中、軽いピンホールカメラとはいえ8x10の暗箱を取り回すのに疲れてしまったのと、利根川を中流域から河口堰まで一応、歩いてしまったのとで気力が萎えてしまったのだ。それにしても土砂降りの中、傘をさして三脚を立て8x10の暗箱をセットアップする、というのはちょっとした気違い行為ではあった。面白いことに、目の前すべてにピントが合ってしまう(というかフォーカスという概念のない)ピンホールは、何とフィルターに付いた雨滴まで律儀に写してしまうのである。しかしそれはあまり美しい結果をもたらさないので拭き取らねばならぬ。そんなこんなで箱が濡れないように傘を差し掛け、フィルターの雨滴をハンカチで拭き取りながら自分は濡れながら撮った一枚は、必ずしも「使える」一枚になるとは限らない。こういう努力は報われないことの方が多い。それを考えるにつけ昨日は秋の晴天下、天国のような撮影であった。しかし天国的な緊張感のないシチュエーションというのは、引きぶたを閉め忘れたままフィルムホルダーを暗箱から抜いてしまう、というような笑える行為をも引き出す。



1997/10/20

●まとまった時間がとれなくなってしまうと、ページの更新ができなくなる。リンク先のURL変更の対応などといったマイナーアップデートを除くと、前回の更新からすでに一月半も経過していることに気が付いた。それはつまり、このページには日々わたしの中を通りすぎて行く些末な情報を蓄積し、保存再生するようなうまい仕掛けが欠けているということなのだ。

webページで日記のようなものを書く、という行為を、正直なところ今まであまり評価していなかった。だからこのページは、今までにまとめた文字や画像といった情報を、デジタル化して、さらに多くの人々に見てもらうという機能に徹してきたのだ。そしてそれはもう、ある程度の目的を達したような気がする。

このページを置いているサーバ(bunny.co.jpの方ね)の世話をしているのはわたしなので、ページにカウンターを付けていなくても、どのぐらいの人がこれを見てくれたのかはログでわかる。特定の場所から、繰り返し見てくれている人がいることもわかっているつもりだ。この場を借りてお礼を申し上げたい。しかしこのところ気になって仕方がないのは、この半年間でずいぶん訪ねてくれる人が増えたのにもかかわらず、レスポンスとして帰ってくるメールの数は、逆に減ってしまった、という事実だ。これは何を意味するのか。

ひとつはこの半年間でwebの個人ページというものの社会的な位置に何らかの微妙な変化が生じた、ということ。おそらく以前メールをくれた人達は、自分でもページを持ち、同じ仲間同士という感覚でレスポンスを寄せてくれたのであったろう。今見てくれている多くの人達は、多分そうではないのだ。ついにこのメディアにおいても、作る側と見る側の分化が起き始めたとでもいうのであろうか。これはもちろんわたしの早合点であってほしい。

もうひとつは、これは相対的なものに過ぎないのだが、わたしが高いところからものを言っているように見えるようになってしまったこと(笑)。練りに練った硬めの文章だけ載せていると、どうやら近寄り難い雰囲気ができてしまうようなのである。いったいこの人は日常、何を考えて暮らしているんだろうか。そんなわけのわからない人にメールを出してみようなんて、かなり勇気のいる行為ではあります。このメディアでは、それは大変にまずいことなのだ。

もう一度、地べたから始め直してみよう、と思った。webの特性であるリアルタイムに近い情報の保存再生と考えの表出を通じて何ができていくのかを、自分でも実験してみようと思う。従来の手法では作品化されないで埋没されていくような情報でも、このメディアではどうやら残すことができるようである。作者側の取捨選択を経て唯一無二の作品ができあがっていくのでなく、各々の受容者との関係において各々の作品ができ上がっていくような構造が見え隠れしている。



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