埋 没 す る 日 常

【1997年12月】





1997/12/25

●これまたふと思いついて、このページを別の環境(Windows95にInternetExplorer4.0)で、見てみた。結構ショックだった。およそ意図通りになっていない。特に文字組みだけで構成されているページの崩れは深刻だ。考えてみれば、このページをMacintoshにNetscapeという、作ったのと同じ環境で見てくれている人の比率の方が、実は少ないのだ。多くの人達が、わたしが「崩れてる!」とみなす状態を見てくれていたのかと思うと、ぞっとした。そして大変に申し分けない気持ちになった。今まで文字を画像で表わすことは極力避けてきたが、今後は少し考え直すことにする。別にWindowsとInternetExplorerが悪い、というわけでもない。解像度やフォントサイズの設定を詰めていけば、双方の「見え」はかなりのところまで近似する。しかし見てくれている人にそんなチューニングまで強要するわけにもいかないだろう。第一、制作者がスタンダードとしているのはどの「見え」なのかがわからない以上、チューニングのしようがない。何を言っているのだ、そんなのはこのメディアとつきあい出した3年前からわかっていたはずだろう。しかしどんな設定で見られても、崩れが最小限にとどまるような配慮が、データの軽さよりも優先される段階に来ている、ということをなかなか認めたくない気持ちがある。この反動のような気持ち、一時的にせよデザインという分野に身を置いていた人間が宿すべき思考とはみなされにくいかもしれない。デザインじゃないところから出発してデザインを経て、デザインじゃない別のところへと到達したつもりになっている人間の、ネジリアメみたいな思考のかたち。それにしても今回の例に限らず、「外側から見る」ということはなかなかに難しいものだ。



1997/12/14

●ふと思い付いて、部屋でコンピュータに向かっている自分を4x5インチのピンホールカメラで撮影してみることにした。ポラロイドの#59で1時間ほど開けっぱなし。で今、現像してみた。やはりモニタが一番目立つ。キーボードやら引伸機やらディスクマンやらいろんなものは写っているが、本人が写っていない。わたしはこの1時間、確かにここに座っていた。でも写真には写っていない。わたしはどこへ行ったのだ?どこへ消えたのだ?ひょっとしてわたしは初めから存在していないのだろうか。だとしたらこの文を打っているわたしとは一体なになのだ?この現像ムラと区別のつかない、ほんのわずかな黒いもやもやしたものがわたしの実体なのか?普段「こんなものは虚像に過ぎない」と言って半ば蔑んでいるコンピュータのモニタ上の像がちゃんと写って、これこそが本質的、根源的と信じて疑わない自分の身体が写らないとは………。ピンホールというのは何という恐るべき装置なのだろうか。

これを撮る前、8年前まで住んでいた街の地図を見ていて不思議な気分に陥っていた。この地図上の様々な要素、建物や道路はたぶん、ほとんどが現時点でも存在するはずだ。では何故、わたしは今そこに居ることができないのか?地図からたどる街のディテールはわたしの中で確かに実感としてある。しかしわたしはそこにはいない。この街を歩いていたわたしはどこへ行ったのか。もういないのだとしたら、現時点でのこのわたしは当時のわたしと同じ存在なのだろうか。もしそうでないのだとしたら、自分の存在のこの連続感覚(8年前の自分と今の自分が同じであるという確信)は単なるまやかしに過ぎないのだろうか。



1997/12/08

●「耳が極楽な日々」も土曜で終わり、しっかり風邪をひいた。丸一日寝込んで何とか復活。1年半前からそのままだったポートフォリオページをメンテナンスする。以前は597x397なんて大きな画像はおいそれと載せられなかったが、最近は抵抗がなくなってきたようだ。どうも進化が早すぎるように思えてならない。メンテついでにページの入り口にちょっと細工をしてみる。



1997/12/03

●昨日、ついにペーター・シュライヤーを生で聴いた。いやあ良い良い。金曜に狂言、土曜に現代音楽(リゲティの弟子でDX7で純正調、といったノリの人達)、日曜はラテン歌謡(YOSHIRO広石、知る人ぞ知る大物ラテン歌手)、で今週はシューベルトのリート三本立。食い合わせはものすごく悪いが、とても耳が濃密な日々。



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