埋 没 す る 日 常

【1998年2月】





1998/2/9

●デジタルカメラのデジタルカメラらしさ、を感じるのは、カメラ内のメモリーから画像を消したときである。特に出先でメモリーが足りなくなって、以前の画像を一枚ずつ消してメモリーの空き領域を作る行為は、たいへんにデジタルな情緒の中にある。「なぜ写真を燃やすのか」と聞かれて「写真家だからだ」と答えたのは1977年ごろの中平卓馬だが、1998年においてはたとえ写真家でなくても写真を消す、という行為は日常的な行為になりつつある。こんなことを考えるのは、昨日、部屋の整理をしていたら7、8年前の手紙の類がごっそりと出てきて、それを夜中に何時間もかけて、処分したりしたせいかもしれない。一枚一枚ちぎりながら手紙を捨てるのは、何だかとても神経にさわる作業だと思う。特に写真年賀状のようなものが、引きちぎるのに余計に力がいるように感じるのは、単なる物理的な強度の問題だけではないような気がする。それに比べて、たまった電子メールを消すのはほとんど痛みを感じない。後に何の痕跡も残らないで消すことができる、というのは何と感情的に自由なことであろうか。人間の寿命はうまく作られた紙に比べて短いのであるから、大切な手紙であればそれをずっと手元に保存しておくことは可能だ。写真もまた然り。しかし自分の寿命が尽きた時、いずれそれらは自分の手を離れる。それを考えたとき、保存の欲求はかなりトーンダウンする。無限の保存スペースでもあれば話は別だが、わたしにとって大量の情報の保存は現実的でない。日本を離れる計画もあるので、この部屋もあと1年後には引き払わねばならない。最近、情報のデジタル化がとても好ましく思えてきた。それは「場所をとらない」ということよりも、「思い切りよく消せる」ことに理由があることに気が付いた。保存するにしても、従来は「手元に残す」ということを望んだのだが、今では「どこかに残っていろよ」ということを考えるようになった。



1998/2/3

●個展まで残すところ1か月切ってしまったのに緊張感がない。困ったもんだ。理由はふたつ。B3は去年のかなり早い時点で撮影を終えてしまった「ちょっと前の」プロジェクトであること。WWWによる展示に少しずつ意義を見い出すようになって、時間的空間的に制約のあるギャラリーという展示空間で展示をすることに懐疑的になっていること、だな。頭の中では次のプロジェクトが進行してしまって、感覚にタイムラグが生じることはよくあることなので放っておくとしても、展示、に関する懐疑はちょいと深刻だ。前回までの個展では、物理的な展示の終了後しばらくしてから、WWW版の展示を出した。今回は同時進行でやっている。個展開始と同日にWWW版の公開も開始する。この流れはもう止まらない。これはわざわざ東京まで(しかも6日間しかやらない!)展示を見に来てもらえない多くの人達に対する当然のサービスと考える。もちろん現物の方がいいですよ、なんてことは銀塩プリントをメインに据えている今だから言ってられることであって、今考えている方向にこのまま進んだら早晩、画像と物質は見事分離して「現物 = デジタルデータ」になるでしょうね。じゃあ、展示とはいったい何なのだ?んーっと、んーっと、いっそ展示はライブだ!!みたいなのはどうだろう。アンプラグドということで(←何の解決にもなってない)。ところで、そのNO MATERIALSというか、NO CHEMICALSのデジタルフォト実験展示場(住宅展示場ではなくて射爆場、というニュアンス)Weitergehen オープン。ヴァイタゲーエンはドイツ語でゴー オンだ(と思う)。今まで時代に背を向けていた佐藤はここへ来てようやく先に進む気になったらしい、と考えていただいて結構です(展示してあるものは依然として時代に背を向けてるけど)。



1998/2/2

●腰が直ったと思ったら今度は風邪である。困ったもんだ。それは置いておくとして、またしてもサーバのログを解析して遊んでいます。今度はそのキーワードが釣り上げたページへのリンクも付けてあります。同じキーワードでも、検索サーバによって釣り上げるページが違うことや、なぜこのキーワードでこのページが釣れるのか全く理解不能な例など、検索の不思議がいっぱいです(こんなことやっている暇があったら作品つくれって)。

⇒1998年1月にわたしのページを釣り上げた検索キーワード

話は変わりますが、雑誌「日本カメラ」3月号(2/20発売)に4ページもらいました。内容は[境界3]の抜粋で、4点載っています。わたしのピンホールカメラの紹介記事も付いているはずです。いい雑誌なのでみなさん買いましょう。



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