h u m d r u m【 埋 没 す る 日 常 ・ 98年4月】




1998/04/29

1998/04/28

作詞家、というよりビート詩人と呼びたい小山雅嗣さんが、[境界線]のコンセプトで、素敵な詞を書いてくれた。今、小山さんのページ W O + R D [ 言 葉 の 復 権 ]のオープニングナンバー(!)になっている。言葉の力を信じること、クオリティを維持すること、音を感じ続けること。様々な有形無形のメッセージが飛んでくる。
1998/04/23

アサヒカメラ5月号に、平木収さんが「境界3」の展評を書いてくれた。それによると、佐藤は被写体となっている水門の姿にひたすら心をひかれているようでもない、とある。ああ、コンセプトの非常に微妙な部分をわかってくれてるなあと思う反面、やはりちょっとストイックさを強調し過ぎたかな、という気にもなってしまった。ひょっとして「コレクションではない、タイポロジーになってもいけない」とひたすら念じて切り捨てて来た部分の中に、何か貴重なものがあったのではないか。食べられる部分までゴミとして捨ててしまったか。そう思ったらいてもたってもいられなくなってきた。実は場所や光の加減で8x10で撮れない時、ポケットカメラで撮っていた水門の姿が以前から気にはなっていた。その35ミリポジををあらてめて見直してみよう、ということになった。で、今こうやって書いているバックグラウンドでスキャンしている(初代COOLSCANは遅いのだ)。なーに、別にコレクションでもタイポロジーになってもいいじゃないか。わたしはわたしだ。わたしは水門が好きなのだ、なんて開き直ったことをことを言いながら。
1998/04/22

1998/04/18

『わたしは偶然に検索された:I was searched by accident.』をようやく公開する。実は97年10月から12月までの3か月分=3本しか完成してないのだが、作りながら公開する、というのがWeitergehenページの主旨でもあるので、98年1月分以降は追ってアップすることにする。いよいよやっていることが理解されにくくなってきたなあと、我ながら憐れに思わないでもない。したがってこのプロジェクト、反応は今のところ期待しないほうがよさそうな気がする。下に書いたとおり、自分でもよくわからないモチベーションによって作らされた作品だ。例えは悪いが宿便のような作品、という感じもする。電網空間に存在する多くの見えない他者が投げつけてくる様々なキーワードの、空間側への「投げ返し」なのであるが、そんなものが美術作品といえるのかどうか、結構怪しい。このようなカテゴライズできない行動を収容するだけの懐の深さを持っているのが(現代)美術だと思うのは、単なるわたしの幻想かもしれない。いずれにせよ、見えない敵に向けて銃を放つ気持ち、がしている。
1998/04/15

1998/04/14

電網世界における「縁」というものを考えている。というのも以前にもここへ書いた、全文検索型サーバを経由したアクセスの不可思議な挙動がどうしても気になって仕方がないのだ。気になって気になって、ついにそれをネタに作品を作ってしまって、それでも気になって仕方がない。毎月の暗号のようなアクセスログを処理することによってあぶり出てくる検索キーワードの羅列。その中に繰り返し出てくる不気味なキーワードの数々。その向こう側にいる人の姿は見えないのに、検索という行為の痕跡を反対側からトレースしてみると、そこには確かな他者の存在の手応えが感じられる。この作品『わたしは偶然に検索された:I was searched by accident.』はもう少しで公開できると思う。去年の10月からデータを取りはじめているので、もう半年分の蓄積がある。少なくとも1年間は続けてみようと考えている。
1998/04/09
Webは単なるメディア、情報移動用の入れ物に過ぎない。と、割り切れる時もあれば、皿も料理の一部、とこだわる時もある。思考が反映されるヴィジュアル、というものもあり得ると信じることにしよう。ちょっと重くなったのを許してもらえればよいのだが。
1998/04/08

1998/04/05

以前から気になっていた無意味なフレーム構造を解体して、一気に新しい構成にした。日曜日が丸一日つぶれた。見かけがかなり変わったが、中味は実はほとんど一緒。しかし器を変えると同じ料理でも味は変わる。「Web site = 盆栽」説に従えば、植木鉢を替えたら枝振りが違って見える、というようなことになろうか。


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