h u m d r u m【 埋 没 す る 日 常 ・98年5月】

●なぜ個人のWebページには必ずといっていいほど日記ページがあるのだろう●しかし誰のページでも読んでいちばん面白いのは実は日記系ページだったりする●埋もれていく無意味な日常をあえて無編集のままだらだらと記述し撮影し蓄積することで何か意味が発生するとでもいうのか●



1998/05/30

今週もわたしの写真画像の無断使用を1件発見してしまう。香港のサイト。これだけの勢いで見つかるというのは氷山の水面下の部分は相当大きいと見なければならん。今度の香港氏のケースは悪質なものでないだけにどのように咎めだてしようかと考えていると、あろうことか向こうからよろしくねメールが届く(!)。折り返し「おーおーこちとらぷろのあーちすとやねんからほんらいやったらかねとるねんどー。ほんでもしょうばいのねたにせんねんやったらしゃあないつかわしたるわ(だから画像の直下に作者の名前ぐらい入れなさいね)」的内容の返事を返す。わしの破壊英語でも意味が通じて一応手打ちとなった。しかし!この問題は根が深い。

web上で写真を衆目にさらしておる以上、転載は禁止ですなんて書いたところでしょせん抑止力は蚊の目玉程度のもんである。つまりやったもん勝ちだよこの世は、式なのがどうにも現状だ。しかも自由なサイバースペース!などと標榜し自由という概念を幼稚園児レベルの解釈で理解してweb上のすべての画像は作り手の意志に反して勝手に流通させていいなんてコンセプトらしきIPアドレスがURLの(それで身を隠しているつもりかね)パクリ画像展覧サイトなんてのがあって、さらにそれを喜んで眺める人々があまたいて、かくしてwebは今日もまためでたく三流メディアにとどまっておるのであります。しかし、写真を出す側も単に「転載禁止」と言っているだけではもはや済まされなくなるだろう。現行のwebというシステムがユーザ側に完璧な複製を許す以上、性善説にすがって作品の同一性を保持できるなんていう考えはあまりにも脆弱で危うい。テッドネルソン大先生のいにしへのXanaduシステムが備えている著作権コントロールシステムは今でも実現は難しそうだし、もとより何らかのシステムで解決できる類の問題でもなかろう。「自分の撮った写真画像はなぜ自分の所有物と言えるのか」という問題までさかのぼって考えると、最後には自分でもパクリ画像展覧サイトを主宰しなければならないような結論を導きだしてしまいそうだ。

しかしパクる側にも三分の魂があるなんてことは絶対に言いたくないぞ。パクリは認めない。なぜならパクリが正当化されてしまえば「パクられる→それはいやだ→じゃあ写真を見せない」式にホップステップジャンプで折角のワールドワイドなメディアが委縮壊滅してしまうではないか。自由というのは何をやっても許されるというわけではない、というちゃんと脳味噌使った倫理感覚がweb上でも持てない人は今後、ここでは人間であることを返上していただきたい。現実社会では人間ですがネット上ではゾウリムシやってます、なんてのもあっていいよこの際。それはいいとして、サイバースペース(この言い方ってなんか恥ずかしいものがあるんだわな)上での写真家は今後、自分の画像の再利用に関して明確な基準を用意して掲示する必要があるのだな。まずそのための一歩。自分の命懸けて撮って仕上げた写真が見ず知らずの他人様のページからひょっこり立ち現れる、あのスリルとサスペンスと怒りと驚きと冷や汗と脱力たっぷりの一瞬をあなたにもぜひ一度味わっていただきたい今日この頃。

1998/05/22
表現の極北、とか言語の極北、とか。「極北」ってカッコいい言葉だなと思ってたけど、広辞苑には「北極」しか載っていなかった。
1998/05/20
5月だというのに梅雨のような日が続いて。ひさびさの晴天は何ものにも代えがたい。利根川の堤防の上を渡る風の美しさといったら。こんな空気が流れているというのになぜ車の中でエアコンディショナの自己循環空気など吸っているんだあんたは!
1998/05/13


いつまでも眺めていたくなるような光と葉緑素と色素と水蒸気。
1998/05/11

最近、他人のサイトの画像をそのまま自分のページに貼って何食わぬ顔をすることが流行しておるらしい。今日、リファレンスログを見ていたら2件見つかった。こんなマイナーで物好きなページのパクりなんかやってどうするの。どうせ悪いことすんならならさ、もっとお金のかかった企業ページの「ぐらふぃっく」でも再利用してやったんさいよ(これは冗談ね)。マイナーな個人ページだからわからないだろう、見つかっても何も咎め立てされることもあるめえなんてなことを考えてんのかねえ。それって結局自分で自分の首を締めることになるんだよ。こんなことが起きるからWWWってのはいつまでたっても便所の落書きだの何だのと三流メディア扱いしかされねえんだな。
1998/05/10

昼寝なぞしていたら枕元に有名写真家F原S也がやってきて、ぼそぼそ言いながらポジフィルムをえんえんと見せてくれる夢を見た。それらのポジはやはり大層鮮やかな色をしておった。どうしてこんな色が出るのだと訊ねているうちに場面が変わり、快晴の団地の中庭のようなところの大木に大蛇が絡み付いていて、熊だか何だかケモノに噛みつこうとするところに出くわした。その大木のてっぺんの若葉の緑の鮮やかなことといったらこの世のものとは思えない。あわててデジタルカメラのスイッチを入れたらすでにメモリーが満杯と出た。さーて困ったぞ、被写体を目前にして撮影済み画像の中から大して重要でない一枚を選んで消して、メモリーの空きを作るなぞというしちめんどくせえことせねばならぬ。しかも先日コンパクトフラッシュを15MBに増やしたので、50枚以上ある撮影済み画像から消せる絵を間違いなく抜き出さねばならぬ。そうこうしているうちに陽は傾く。あわててデジタルカメラのボタンを押しているところで目が覚めちまった。
1998/05/06
←わずか数時間前に見た事物を、こうやって再現して公開できる。最近では慣れてしまってあまり感動がないが、よくよく考えてみるとやはりすごいことなのだ。見続け、見せ続けることから何ができあがるのか。あるいは何もできあがらないのかもしれないが、まあ先に何かありそうに思ううちは歩いてみる。今はただそれだけだ。
1998/05/04
今年の春はやけに緑色が気になってる。なぜだろう。それはそうと、4/23のところで書いた水門のレンズ写真を、別ページとしてまとめてあります。Floodgates へどうぞ。
1998/05/02
この高温多湿な季節になると毎年ラテンの血が騒ぐ。といっても聞く音楽の話であっていきなり服装や髪形や言動がラテン化するわけでない。普段は格好つけて現代音楽とか、ちょっと隔離されがちな70年代プログレとか聞いていることが多いのに、なぜかこの時期は一転してマンボやサルサ、チャチャチャになってしまう。ペレス・プラード楽団を聞きながら、いっしょに「うーーーっ、あ☆」とか叫んでしまうそのワケは昨年の夏に気が付いたのだが、一種の「刷り込み」だったのである。わたしが産まれたころにご両親様が買ったばかりの「ステレヲ」で聞いていたのがたぶん「チャーリー石黒と東京パンチョス」とか(違ったかも)そのあたりで、まだ限りなくカラっぽだったご幼少のわたしの脳ミソにすっかりそのボンゴ〜コンガによるリズム構造と吠えるホーンセクションを刻み付けてしまったらしい。ああ生涯消えない深ーい傷。


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