h u m d r u m【 埋 没 す る 日 常・98年6月】

●なぜ個人のWebページには必ずといっていいほど日記ページがあるのだろう●しかし誰のページでも読んでいちばん面白いのは実は日記系ページだったりする●埋もれていく無意味な日常をあえて無編集のままだらだらと記述し撮影し蓄積してその場で公開することで何か意味が発生するとでもいうのか●これはその実験●



1998/06/27

このところ雨降りその他で撮影はまーったく進まない。それに呼応しているわけでもないのだろうけど、並行して3人の人と、それぞれ一対一でメールでディスカッションのような状態に陥ってしまっている。ディスカッションはまあしばしばあることだが複数の話題が同時にパラレルに進行するということはこれまであまりなかったのでかなり面白い。話題としては表現者のモチベーション、生物学的性差の境界線問題、ピンホール写真家のアメリカ・ヨーロッパ・日本の比較、と結構ばらばら。

●高橋朋久さんとのやりとりでは最初に、3/14にわたしがこの場に書いた、web空間における表現の手ごたえのなさを嘆いた文にカウンターパンチをいただく。「手ごたえ」をwebに求めるのは難しい、という指摘だ。もっとも、手ごたえがないと嘆きつつも現に続けていられるのは、何らかの曲折した手ごたえなり満足感なりを実は得ているのではないか、という。「続けられるとすれば、そこには何か自分でもわからんような、すごーく遠まわりな回路で得ているものがきっとあるはず。」なるほど確かに何かを得ているのかもしれない。未だこれがそれだ、と対象化できる段階には至っていないのであるが。web上の写真表現とはおそらく日常と乖離しないレベルから行われる行為、すなわち歌人俳人詩人といった類の人たちが寝ては詠み起きては詠みしているような在り方を写真に適用したものなのではないか、とはわたしの私見。詩歌っていうアナロジーはここでは、デジタル化によってついに画像情報もテキストと同じレベルで再現可能性を身につけた、ということの象徴のように考えるわけね。その後、ではその表現とやらの原動力になるものっていったい何なんだろうという、ちとやばい深みにはまって、現在ポストモダニズムに潜むニヒリズムの批判まで話が進んで当分収拾がつきません(笑)。

●毎度おなじみ黒木和人さんとは今度は性差のあいまいさについてのやりとり。わたしも境界線をテーマに表現活動をしている者のはしくれとして、最終的にはジェンダーの問題に触れざるを得ないと思っていろいろ考えてはいるのだが。彼は最新の知識を援用してわたしの個人的狭量な経験に基づく性差の認識を揺さぶります。わたしとしては男女の差という境界線のあいまいさは頭では十分に認識しているつもりなのだが、最近生物学的に強烈な現実を目撃してしまったせいでその境界線のアイマイ度が以前より低下していたところを突っ込まれる(笑)。「確固たる境界線」というのは、すべて人為的な制度によるのものなのかもしれない。だから境界線を批判的に検証しようとすれば、おのずと近代の文明を批判的に検証する、ということになってしまう。

●グレッグ・ケンプさんは Pinhole Vision というピンホール写真のweb上でのリソースページで最大の情報量を誇るサイトを主宰してる人で、ここにはわたしも3月の個展の告知等でお世話になったりしている。彼は先日、日本のYahoo!を見てピンホールのサイトが日本に少なからず存在するようなのを知ってショックを受け、早速メールで連絡してきた。日本ではピンホールは盛んなのか?と。彼が見たであろうページはほとんど日本語ページであり、読めないから助けてくれ、ということらしい。そこであらためてわたしも日本のピンホールページを片っ端からチェックする羽目になる。それでわかったことは、日本のピンホールページの大体95%は、ピンホールとピンホールカメラの作り方、プラス作例写真である、ということだ。驚いたことに「作品」としてまとめられているのは、自慢するわけではないがわたしのページだけのようであった(日本在住のEd Levinsonさんの作品ページはPinhole Vision内にあるけどこれは特例だね)。そのように返事して内心これは困ったなあと思ってると彼が言ってきたのは、ヨーロッパにはピンホーラーが何人かいて、サイトもぼちぼちある、日本にもずいぶんサイトはあるようだがどうも日本とアメリカの壁はえらく厚いぜ、ってそりゃあそうだろう。壁に穴をあけるのは確かにピンホーラーの仕事ではあるが(笑)。さて次は彼に日本のピンホール事情をもう一度、説明しなければならないようだ。
1998/06/23
1970年代は遠く、ポップスとロックの天才達はもっと遠い。わたしの頭の中ではこのところずっと雨が降っている。現実空間でもずっと雨が降っている。雨、雨、雨。雨は嫌いではない。でも雨降りはやはりいやだ。
1998/06/19





1998/06/09
Webサイトを公開して、今度の8月で丸3年になる。もちろんその間、ずっと全力で取り組んできた、というわけでもない。はじめの2年間はむしろ以前の作品を収めておくための、公開作品物置のような機能を考えていた。展覧会をやっても1週間で終わってしまう、という「見せる環境」の限界を抱えていた身にとって、それでもまあ意味があったのだ。Webならではのリアルタイムな作品を作ろうという気になったのは、去年の夏に小林のりおさんのページと出会ってからのことで、考えてみるまでもなくまだ1年もたっていない。この方向転換後、ずっと気になっていたのがアクセス数である。はじめの2年間はカウンタを付けることにほとんど意義を感じていなかった。で、その後も付けるタイミングを逸したこともあって、まあいいやでここまで来てしまった。同じ内容の二つのサイトを抱えていたせいもある。先日二つのサイトの古くからある方(プロバイダ上の方)を閉じて、一本化した。続いてこれまでのアクセスログを解析して、フロントページに対するアクセス数を計算してみた。このお世話になっているデザイン事務所のサイト(www.bunny.co.jp)の方のアクセスログは残念ながら96年の4月からしか存在しないので、それ以前、つまりプロバイダの方のアクセス数はもうわからないのだがまあ仕方がない。それでも12000を越える数を得た。2年間の数字としては決して多くないのだが、これだけの接触があった、という重みはずしっと感じるのである。12000がインチキでない証拠、というわけでもないが、この25か月間の毎月のアクセス数をグラフにしたので見てあげてください。昨年の夏から佐藤は心を入れ替えた、ということがおわかりになるはずです(笑)。
1998/06/08


梅雨の晴れ間の日。使われなくなった排水機場(俗にポンプ場と呼ぶやつね)を覗く。昭和11年竣工だと。ってことは1936年だから62年前の建物と機械ってわけだ。汚れたガラス越しに黒々としたディーゼルエンジンとポンプと、丸いメータのいっぱいついた配電盤が見える。止まった時計と数年前の10月のままのカレンダー。機械は使ってないはずなのに明らかに油が差してある。嵐の中でこいつがフル回転するのを聴いてみたかったな。
1998/06/07
【1】記憶、というのは、その時の情緒がそれ以来ずっと参照されたがために保存されている、という説を読んだ。つまり「忘れられないような凄い場面に出会った」から記憶されるのではなくて、ある場面に立ち会ったその時に抱いた情緒をその後、何度も何度も自分が意識内で反芻するために、結果的に「記憶」として保持されているのである、ということだ。記憶という概念のコペルニクス的転回で面白い。なるほどこれだとみんなが見ているのに何故か自分だけが覚えている、あるいはその逆の場合のような現象の説明が容易である。

【2】古い友人からメールをもらって、おまえの日記を読むと思考パターンや興味が昔とあまり変わってないよと指摘されてなるほどそうかもしれないと思った。大切な友人である彼とよく話し込んだのは15年ほど前の大学時代の話で、ここ10年来ほとんど会って話す機会がない。だからこの10年以上の間、わたしの思考は大した変化を遂げていない、ということになる。余計な枝葉はいっぱいついたのかもしれないけど、根や幹は変わりようがない(もちろん花も咲いてなければ当然、実もまだ成っていない)。根や幹の構造はたぶん10代の前半で決定的になってしまっていたはずだ。その頃に何をやっていたのかでそやつの指向性はほぼ決定してしまうのだな。しかし中学生の頃いっしょになってギターをかき鳴らしてビートルズなぞ歌っていた連中が、医者やらプラントエンジニアやら、立派な社会の人になってるのに、わたしは何だか道をそれたようなことをしていられるのはちと不思議だ。ひとりだけまだ頭が10代前半のストロベリーフィールズ状態に取り残されてあるのかもしれん。

【3】Web空間上をあっちこっちさまよっていると、何かの拍子でフェチやら女装やらといったアブノーマル性欲系のページに寄り道してしまい、結構面白がって見てしまったりする。特にこの半年間はもの凄い増え方だ。しかもそれぞれのページのカウンタを見ると驚くような数字が並んでいる。つまりわたしのように高みの見物をしている御仁が少なからずいるということなのだな(笑)。面白半分でやってるページから真摯に自己の欲求に忠実たらんとするページまで様々であるが、大方のページの主はそれぞれに切実である。それは認めたい。ケチを付ける気は毛頭ない。ジャンルによってはわたしも参入したいぐらいだ(笑)。しかし最大限譲歩したところで、最近の傾向には何か今一つ、納得できないものがある。考えが整理されていないのだが、それはおそらく現実社会とネットワーク上での疑似社会との乖離が、こんな形でどんどん進行していくと、結局人間にとってしんどい世の中になるのではないのかな、という漠然とした予感によるものだ。ネットワーク上のコミュニティが恣意的な快感原則で一方的に突っ走り、現実社会が何も変わらないとしたら、事態は今より余計悪くなるのだ。そのシチュエーションで引き裂かれるのはそれぞれの個人である。つまりネットワーク上のアクションはあくまで現実社会とリンクしたものでなければかえってマイナスの力となりかねないのだ。
1998/06/05
←この季節、こいつだけは元気いいんだよなあ。

先日の「極北」の語源について、黒木和人氏からメールでご指摘をいただきました。ご本人の了解の元に転載します。

   > 気になって、さっきざっと日本国語大辞典と広漢和辞典を見たんですが、明
   > 治時代になってから、窮北という語などとともに出来た漢語みたいです。中
   > 国での用例には、極東と極南はあっても極西とか極北というのはなく、AT
   > OKでは極東と極北だけ登録されているみたいです。両国の地理的位置が見
   > えてくるような感じです。

わざわざ調べていただいて感激です。現代美術の批評なんかで、極限と書けば済むところでモッタイ付ける場合に使われる、最近の語かと思ってたよわたしは。明治からあったとは意外でした。

   > ちなみに、広辞苑
   > はやめといた方がいいです、はい。新明解ですら「極北」は載ってましたから。

あらら、辞書にはあまりこだわらない人間なので、中学の入学祝いにもらったのを今まで使ってましたがな。辞書といえば最近よく辞書代わりに使ったりする検索サーバですが、gooで極北をキーワードに検索すると何が出てくるかやってみました。真当に「地球のふたつの極地のうち北の方のやつ」という意味で(つまり北極のニュアンスのバリエーションとして)使われていることが多いようですな。鳥取市の極北は北緯何度、なんてのもありました。このケースでは極南、極東とオリジナルにない極西まで含んだ4点フルセット。以前から思ってたけど、どうも日本人の漢字造語感覚は結構ラフな感じがする。本場中国人ほどは、語順にも気を使ってない。そういえば小学生の時、漢字を習いたての下級生が「面仮ライダー」とノートに書いて得意になってたの見て笑ってやったのを思い出した。あんまり関係ないか。
1998/06/01
月曜日の午前4時20分。この時期だと夜が明けてしまうのだけど、一週間のうちで最も静寂な時間帯。日曜からリセットされないで月曜の朝になってしまう、というのが昔から好きなのだな。人が右へ行きゃあたしは左、というだけのことかもしれん。


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