h u m d r u m【 埋 没 す る 日 常 ・98年7月】

●なぜ個人のWebページには必ずといっていいほど日記ページがあるのだろう●しかし誰のページでも読んでいちばん面白いのは実は日記系ページだったりする●埋もれていく無意味な日常をあえて無編集のままだらだらと記述し撮影し蓄積してその場で公開することで何か意味が発生するとでもいうのか●これはその実験●



1998/07/31

1998/07/31 Kyoto

1998/07/30

1998/07/30 Shiga

1998/07/29

1998/07/29 Nara
昨日の話の続き。仏像、寺院ってのはかつて本当にメディアだったのだな、という思いを強固なものにしてくれる存在が「千社札」である。仏閣を訪れるたびにその思いを強くするのだが、いつもすぐにそのことを忘れてしまう。したがってこのように覚書として書いている次第。
1998/07/28

1998/07/28 Nara
奈良に仏(ブツ)を見に来ている。東大寺の三月堂なんてとこに突っ立てるブツ連中なんてのは1200年前のメディアの残りかすみたいなものですわな。当時のハイテクノロジーの粋を集めてこしらえた超一級のヴァーチャルリアリティも、12世紀もたてば煤けて何だか得体の知れないありがたみを帯びるけどやっぱり単なる物質、残りかすには違いない。それをみんなでありがたくも拝む、という図式がたいへんに可笑しい。仏像ってよく見りゃあ結構ヘビメタ/パンク系入ってたりするのにねえ。
1998/07/19

1998/07/15 Niigata
たまには機材のことなど考えてみようと思う。写真は機材がないと成立しない。しかし機材にこだわることは必ずしも作品が成立する条件ではない。佐藤は機材に淡泊だ、と思われているフシがあるが、それは単にお金がないことと、弘法筆を選ばずを決め込んでいるためであって、そりゃあわたしだって正直言っていいカメラ、レンズは欲しい(でも買えない)。それはそうと、最近はデジタルカメラ(Kodak DC210)とご覧のような自作4x5ピンホールカメラをバッグに入れて撮影に出かけることがほとんどだ。以前のプロジェクトでは自作8x10ピンホールカメラとジッツォのくそ重い三脚を担いで河原や海岸を歩いていたものだ(車は、ないっ!)。ある人に「まるで行者のようだ」と言われていい気になってたが、腰を痛めて以来、何となくこのスタイルは気が乗らなくなってしまった。代わりに今使っている4x5は三脚を使わないで地べたで撮れるように固定アオリ(要はピンホールがセンターからオフセットして付いているだけ)になっている。レンズキャップが三連になっていて結構ものものしいが、仕組みはぜーんぜん大したものではない。単純だからほとんど絶対に壊れない。フィルムホルダは重いので持ち歩かず、ポラバックつけっぱなしにしてクイックロードのフィルムのみ使っている。これだけがささやかな贅沢である。何でこんなことくだくだ書いているかというと、どうも人間には二通りの生き方があるようで、自分の意図通り環境を変革していくタイプと、自分の意図が環境によって定義されていくタイプだが、わたしはもう完全に後者であるということだ。一般にこの違いは、積極的であるか消極的であるかという二元論で片づけられてしまうことが多い。そんなわけで以前は何となく自分の方法が消極的なのではないだろうかと考え込んでしまうことがあったが、最近はいや、これは柔軟構造をしているのだよと笑っていられるようになった。今あるものでその場でなんとかする、という方法論は経済発展が止まったこれからが本番だろうと思う(笑)。
1998/07/15

1998/07/15 Niigata
越後平野のはずれ、信濃川のほとりで夕暮れを迎え、晩には東京に帰ってモニタ上でその風景を見ている。これが現代というものなのだろうが、未だにわたしにはどうにも釈然としないように感じられる。遺伝子レベルの固有の速度感とのズレがどんどん大きくなっていく。
1998/07/08

1998/07/08 Saitama
もっと涼しげな場所へ行けばよさそうなものだが、ついつい工業地帯へ撮影に来てしまう。炎天下の工業地帯の流れない川沿いを歩く。責め苦のようなシチュエーションだが古い水門と出会えば疲れも吹き飛ぼうというもの。30年以上たったコンクリートの質感が何だか気になるこの頃。
1998/07/07

●ここでアナウンスするのを忘れてましたが、アメリカ侵略の第一歩として、敵地の無料サーバに先週、サイトをこしらえました。「コンクリートジャパン」という半ば意味不明のプロジェクトです。ちょいと覗いてみてください。これを見たアメリカ人が日本の社会資本はやはりこの程度かと誤解を招くような、シニカルなページにしてみたいと思います。それからもうひとつ、ピンホールヴィジョンズというこれまたアメリカのサイトに日本のピンホールサイトに関する簡単なレヴューを書きました。こちらもこれを読んだアメリカ人が、日本はピンホール写真もやはりハード先行かと誤解を招くような、シニカルな記事になっちゃいました。

●これ以上日本に住んでいると、もはや日本のことを肯定的に表現できないのではないだろうかと思えてきた。自分の生まれた国を皮肉的にしか表現できないのはやはりどう考えても情けない。自分で吐いたつばを自分でかぶるような感じがする。何が何でも一度、しばらく外国で暮らさねばならぬようだなあ。わかっちゃいるけど進まない。
1998/07/01

1998/07/01 Tokyo
水門中毒の禁断症状が出る。とりあえず近場の芝浦方面へ欲望を処理しに行く。2週間ぶりの水門に思わず震えた。その後、某所で「水門ってかわいいでしょ?」などと発言して笑われる。






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