h u m d r u m【 埋 没 す る 日 常 ・98年8月】

●なぜ個人のWebページには必ずといっていいほど日記ページがあるのだろう●しかし誰のページでも読んでいちばん面白いのは実は日記系ページだったりする●埋もれていく無意味な日常をあえて無編集のままだらだらと記述し撮影し蓄積してその場で公開することで何か意味が発生するとでもいうのか●これはその実験●



1998/08/26

1998/08/25 Miyagi
原則的にその日の行動をもとにして書いているのだが、まあ場合によっては一日ずれることもある。昨日は好天の中、北上川方面へ撮影に出た。古い友人を運転手にこき使いながら(星君たびたびすいません)、歩いて回るのと比べて数倍の効率で撮影を終え、遅い昼食を取りに登米(とよま)の街へ入った。明治まで北上川の水運の拠点として繁栄した登米は、今ではしぼみきった街でなんだけど、なかなかどうして悪くない風情がある。だから近くを通ると用がなくてもついつい寄ってしまう。この10年あまり、みやぎの明治村とかいうコンセプトで明治期までの建築を復元したりして、真面目にいわゆる町おこしをやっている。復元建築につぎ込んでるためか、役場の建物がボロボロのままだったりするのが見えてしまったりする。そんなところがご愛嬌というか、図らずも町の真面目さが露呈しているようでかえって好感が持てる(穿った見方ですいません)。復元建築はその筋の人にまかせるとして、ここでのわれわれの目的は、実は「川うなぎ」だ!かつての船着き場の真ん前、当時高級料亭が立ち並んでたというからまあ築地みたいなところか。そんな場所に今でも料亭崩れのうなぎ屋があってね、その看板に「川うなぎ」とあってそそるのである。ぼくは味音痴に近いので養殖のと北上川産のとの違いは表現できないんだけど、なんていうか飾り気のないぼそっとした味が、妙に登米という土地に合っているような気がするのである(宮城県名取市にて)。
1998/08/24

1998/08/24 Miyagi
10年間放っておいた本棚と対峙する、というのは古井戸を覗き込むようなちょっと恐ろしい行為だ。見てのとおり大した本が詰まっているわけではない(笑ってください)。しかしやはり10年以上もそこにどっかりと居座っていたものを捨てる、という作業はどうにも後ろめたい感じがする。ぼくは雑誌と言えども捨てるのを躊躇してしまう。そんなこと言ってたら東京の住まいは数年前に容量の限界に達してしまい、最近では定期的に泣く泣く捨てざるを得なくなってしまった。しかしそれでも全然、捨てるという行為に慣れることができない。かつて、文字通り本に埋まって死んでしまった老編集者の部屋、というのも見せてもらったことがあって、これは自分もやばいなあと考え込んでしまったのだが。要するに、紙の上に印刷された情報を抹殺することに罪悪感がある、ということなのだろうが、それが一体なぜなのか、ちっとも理由がわからない(宮城県名取市にて)。
1998/08/23


1998/08/23 Miyagi
二十歳過ぎまで過ごした土地に何日か滞在するのはたいへんに久しぶりのことで、何だかちょっとした浦島太郎的な気分に陥って落ち着かない。昔、山だった所を造成して住宅地ができていたりするような派手目の変化は、瞬間的なショックさえやりすごしてしまえば意外と簡単に気分の片がついてしまうのだが、変化率50%、つまり変わっていないものと変わったものが半々、という状況は大変に気味が悪い。そんな町並みの中を歩いていると、悪い夢の中にでもいるような気すらしてくる。歯の根がどこか合わなくて、おまけに背中がぞくぞくするような感じがする。このはぐらかしの感覚に対する抗議は、誰にもどこにもぶつけようがない。仕方ないからこの地方に住んでいたときに行ったことがなかった別の町へわざわざ出かけて、感覚のバランスを取り戻すようなことをしている。いったい、変化とは何なのか。かつて自分の部屋であった、そして10年以上手を触れていないかつての自分の所有物(本の背表紙の多くは陽に焼けて彩度が落ちている)に囲まれて考えている(宮城県名取市にて)。
1998/08/16

1998/08/16 Tokyo
美術というのは、美しいものをこしらえる行為をいうのでなく、何か存在の深遠に迫ろうとする行為の結果として、美しいものが産出されるのである...というような考え方をどこかで聞いたか読んだかしていたような気がしていたのだが。その思考のおぼろげな断片の、本体にようやく触れることができた。渡邊二郎著「芸術の哲学」ちくま学芸文庫。このような考え方(存在論的美学)はハイデッガーが芸術論として展開したものらしい。ふーむ。ハイデッガーなんて難解そうで読んだこともなかったのだが、ちょっとは覗いてみてもよいかもしれない。たぶん途中で挫折すると思うけど。
1998/08/01

1998/08/01 Kyoto
今日でwebページを開設して3年になる。石の上にも三年、などという前近代から引き継がれた物差しを振りかざすのは有効とも思えないが、3年という持続を経て何らかの到達点に達したというような実感は残念ながらほとんどないように思う。このメディア上でなにがしかの表現を試みるという行為に関して、依然として五里霧中の状態にあるように感じている(大阪・梅田にて)。






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