h u m d r u m【 埋 没 す る 日 常 ・98年9月】

●なぜ個人のWebページには必ずといっていいほど日記ページがあるのだろう●しかし誰のページでも読んでいちばん面白いのは実は日記系ページだったりする●埋もれていく無意味な日常をあえて無編集のままだらだらと記述し撮影し蓄積してその場で公開することで何か意味が発生するとでもいうのか●これはその実験●



1998/09/30

1998/09/30 Tokyo
撮影用に確保しておいた一日が、雨で無駄に過ぎていく。最近、こんな風にちょっとした損をするというようなことに、以前より我慢がならなくなってきているような気がする。老けたってことだろうか。いずれにせよ精神的に余裕がない、というのは何とも貧しいことではあります。
1998/09/23

1998/09/23 Saitama
間違いなくここだ!と地図上であたりをつけて現地に行ってみたら、何もなかった。地図上にはちゃんと水門の記号があるのに。国土地理院に文句を言いたくなるところだが、「なくなっちゃった」という新しい情報をつかんだこともまた別の価値と考える。あるいはわたしが勘違いしていたのかもしれぬ。荒川の上流。農業用水のための古い可動堰があったはずなんだけど。
1998/09/18

1998/09/10 Mie
水門オタクのような(そのものだ、という意見もある)ページでこのようなことを書いてもそれはオタクの対象擁護にしか読めないので、こっちに書くことにした●わたしは美術系に転向する前に工学部という場で教育を受けたことがあるが土木や河川工学は専攻していない。つまり治水や河川制御技術については生半可な知識しか持ちあわせていない、一般市民ということである。このようなわたしを含む普通の人々はたとえば渇水で水道の給水がカットされてシャワーが浴びられないとか、河川敷に駐車しておいた自分の車が洪水で流されちゃったとか、そんな事態に直面でもしない限り、川がどう流れてようが、ましてや自分の住んでいない場所に河口堰なんか作られようが、全く関心を示さないのが普通である。わたしも水門を撮影の対象として追いかけるようになるまではまったくそうだった●そんな程度の意識しか持ち合わせていないところに、たとえばある川の河口堰の建設反対運動、なるものが寝転がって見たり読んだりしているマスメディアから流れてきたとする。そのメッセージはこんな風にささやいている。税金を無駄に使う無用の公共事業への投資を中止して、川を現状のままに残しておこう。その反対運動はかつて安保やら成田やらといった戦闘的反対運動華やかなりし頃の絶叫調とは打って変わって、ソフトなものである。河原で釣った魚でも焚き火で焼きながらウイスキーが出てくるような、いわゆるその、あれである。アウトドア指向という味がついているのである。今の時代、ヘルメットにシュプレヒコールという威嚇的な運動では支持を集めることなどできないのだ。反対運動は感情に訴えるものに変化したのだなあ、などと呑気にそのメッセージを聞いてしまったりする。贈収賄だ天下りだ公的資金導入だ、日ごろ政治家や官僚が繰り広げて見せてくれるありとあらゆる醜態にいささかうんざりしている今のわたしたちは、そのメッセージをわりとすんなり受け入れてしまう。そうかなるほど、なんとかいう魚がとれる美しい川は守らねばならんわなあ。知識人のなんとか氏も芸能人のなんとかさんも反対だいうとることだし●そんなわけでわたしはその河口堰についてちゃんと考えることをしなかった。水門を訪ねて日本各地の川を歩くようになっても、なんとなくその問題だけは考えるのを避けてきたところがある。それは今日の日本の情けないコモンセンスとして、公共事業のかなりの部分は建設族議員による票田へのバラマキだったりするものだ、というイメージがあるためだったろう。もちろんこのイメージはやっぱり事実であったと今でも思ってるけど●さてその後、河川の歴史について書かれた本を読んだりしているうちに、少しずつではあるが、何かがおかしい、という気がしてきた。日本の川は、本当に手つかずの状態で残しておくことなどできるのであろうか。まず、北海道など人が住んでいない地域の一部を除く、大方の日本の川は、「自然の姿」などでは決してない。日本の川がもし太古からの自然の姿を保っていたとすればどうなるか。まず関東平野であれば東京はおろか江戸という都市も成立していなかったはずである。放っておけば平地全体が河川敷、という極めてカオスな状態を、人間が川筋を整理し、堤防で仕切って田んぼやら居住地をこしらえてきたのである。日本の川のうちで特に平地を流れている部分は、極端な言い方をすればすべて人間が千年単位で作り上げてきた人工的な装置のようなものなのだ●そして問題となっているその川は、洪水との戦いに明け暮れて今まで何とか持ちこたえてきた状態で止まっていたのであって、決して自然に近い状態が喜ばしくも残されている、というわけでもなんでもない。それを単純に保護すべき自然があるなどと祭り上げて疑わない感覚は、田んぼや杉林を見て自然はいいなあなんて抜かすような、都会暮らしの鈍化した頭が作り出す幻想じゃないかとも思えてくる。さらに洪水をいかに安全に海まで抜けさせるか、という技術に関して調べていくうちに、その河口堰は一般に思われているほど恣意的な計画に基づいて作られたものではなく、かなり切迫した存在理由を背負っている、ということがわたしでも理解できるようになってきた●そんでもって次にその反対運動はアメリカにおける動向、というのを持ち出した。今はやりのアメリカの標準はグローバルスタンダード、というやつだな。これは今、日本のあらゆる場面で特効薬となる(笑)。しかしアメリカがダム建設をやめたからといってその理屈を気候風土の全く違う日本の、しかも中流下流域の治水問題に適用しようとすることは、問題のすり替えというものである。川の性質がおよそ異なるヨーロッパの治水理論を持ち出してもやはりうまくはいかないはずであろう●どうもこのあたりからこの反対運動というのが、いつしか自然保護を口実とした政治活動のように変化していったことに気がついた。もっともそれとても欧米で流行している手法を引っ張ってきたに過ぎないのだろう。どうもこの反対運動が胡散臭い感じがしてきたのはこのへんが原因に違いない。つまりもう河口堰なんて実はどうでも良いのである。主宰者とおぼしき御仁は政治を動かすのが面白くなってきたように見える。何だ、結局はそういうことなのね、とわたしはかなりの不快感をおぼえた●えらく長くなってしまったのでそろそろまとめに入ります。この一連の物語からわたしが引っぱり出してきたいものは、時代に翻弄される科学技術の価値、というものなのだが、ここではあまり抽象化しない段階で止めておこうと思う●高度成長期と現在とで大きく変化したものは多々あるが、今の時代の雰囲気として顕著なのは科学技術はもういらない、自然がいい、というテーマであろう。これはまあわからんでもないのだが、よく考えると大変な問題を孕んでいることに気づかされる。このテーマは、それを思う人間が今、快適に乗っかっている科学技術は不問にした上で唱えられているという性質を持っている。自然を守ろうとおっしゃる人間が、どうして大排気量の四輪駆動車でずかずかと山へ入って行けるのだろうか。自分のまき散らす排ガスだけは都合よく消えてしまうとでも考えているのだろうか●自然に対する破壊行為はもちろん最小限に食い止めなければいけないのは言うまでもない。しかし人間の営みよりも自然が優先される、と言ってしまったらそれは大変な間違いになる。本気でそんなことを考えている人は明日から原始生活を送っていただきたいものだ。水道水やら電気を使って、電車や車に乗って、そんな科学技術に支えられた今のわたしたちの生活は自然の犠牲の上で成り立っている。そういう事実を片時も忘れないようにしないと、自分が釣りたい魚を守るためにはそこで生活している住民が洪水被害を被っても構わない、などというとんでもない倒錯した主張をするようになる。
1998/09/16

1998/09/16 Tokyo
光の色がすこしずつ変化していく。
1998/09/14

1998/09/09 Gifu
「撮影者」の役割というのは本人が自覚的であろうがなかろうが、鑑賞者の目の延長であることに終始するのであって、これはネットワーク上で写真画像が流通するようになった現在においても、いささかも変化していない。いやむしろ「撮影者」の対象事物の取捨選択という行為こそが、撮影行為の根幹であることがいよいよ明確になった観すらある。ロボットカメラの画像が初め面白く、やがてつまらなく見えてくるのを考えてみればよい。ロボットカメラが鑑賞者の目の延長であるように見えるのは、その機械的システム的な構造のみなのである。撮影者の主観が操作していると思われている対象事物の取捨選択という行為は、実は恣意的な自由意志によってなされているわけではなく、大げさに言えば時代の要請、小さく言えば鑑賞者と撮影者の興味の一致、そういった無意識的な制御の下にあるのではないか。そんなことをしきりに考えているのは、5月に始めたデジタルカメラを使ってひたすら水門の姿を撮っては載せるというプロジェクトが、様々なフィードバックを得るようになってきたためでもある。水門プロジェクトは、どうも単なる趣味的な余興では終わらなくなってしまったようだ。
1998/09/02

1998/09/02 Tokyo
決して美しい風景ではないと思う。しかし何かが気持ちにひっかかる風景なのだ。水の色のせいかもしれない。豪雨のあとの川の水は不思議な色をしている。






←【8月の日常】へ

UP

microtopographic web
Copyright (C) Sato Jun Ichi 1998