h u m d r u m【 埋 没 す る 日 常 ・99年2月 】

●なぜ個人のWebページには必ずといっていいほど日記ページがあるのだろう●しかし誰のページでも読んでいちばん面白いのは実は日記系ページだったりする●埋もれていく無意味な日常をあえて無編集のままだらだらと記述し撮影し蓄積してその場で公開することで何か意味が発生するとでもいうのか●これはその実験●



1999/02/27

1999/02/27 Tokyo
ロッシーニのピアノ曲集、というCDを聞きながらこれを打っている。ロッシーニがそんなもん書いていたとは知らなかった。先日の高橋悠治さんのコンサート(さいたま芸術劇場・2月6日)でご本人の解説つきで初めて聞いて、後で気になってCDを探して買ってきたのだ。何でもオペラで大当たりして30代で隠居生活に入ったロッシーニが、死ぬ何年か前に、世話になってた飲み屋のおかみに頼まれて、そこで演奏するためだけに書かれたものらしい。ロッシーニは死ぬときに全部焼き捨てるように言ったのだが、なぜか「残っちゃった^^;」という話だった。昔の音楽家は10〜20代でヒットを飛ばして、あとは隠居して好きなことやって暮らしてたりするわけだ。なんかいいよね。
1999/02/18

1999/02/18 Tokyo
本日夕、グループ展の搬入。今回は開催が決まってから3週間しかなかったが、そんなもんを何かの言い訳にしたくない。自分の中で現在進行中の問題を可視化して見ていただくだけだ。というわけで、pixelsというタイトル。明日2月19日から3月3日まで展示する。出展者5人中、写真の展示はわたしだけだが、103枚のデジタルプリントは展示全体に対してまるでパチンコ屋の開店花輪のような役割を果たしているようにも思える。どうかご高覧たまわりたい。
1999/02/13

1999/02/08 Tokyo
ピクセル、について考えている。研究社新英和中辞典第6版(電子辞典) によれば、その意味は
pix・el
━《名》[C] 【電算】 画素, ピクセル (スクリーン上の画像の最小単位).

となっていて、残念ながら解釈の遊びをするような余地はどこにもない。そのものズバリ、電算画像の最小単位点ということだけだ。デジタル技術上のフィールドに乗っかった写真表現を、従来のケミカルな、いわゆる銀塩写真のそれと比較する場合、従来型の立場は銀や色素の粒子の細密さを持ち出すことになる。それに対してデジタル側はプリンタの解像度、つまり1インチの間に何個の点を打つことが出来るかを表した数字などを持ち出してくるだろう。この対比は実のところそれほど従来型とデジタル型の違いを浮き彫りにしているわけではない。問題はそのあたりにあるのではない●デジタル側が画像のデータ、すなわちピクセルとその並びというものを写真を成立させる上位の構造として保持していることこそが問題なのである。デジタル型写真には、写真の上にあってその内容を決定している、メタ写真なるものがある、ということだ。そのメタ写真を記録するコンパクトフラッシュやスマートメディアといった小型メモリー装置を、デジタルフィルムと呼んだとしても懐古趣味的なアナロジーに終わってしまって何だかしっくりこない気がするのは、やはりデジタル型は写真と言っても従来型写真と別なものであるということを頭のどこかで認めているからだろうか●1152 x 864ピクセルでも640 x 480ピクセルでもいい、デジタルカメラで得られた画像をどんどん縮小していくとする。Photoshopでも何でもいいが、画像を縮小できるソフトである必要がある。32 x 24ピクセルまで縮小しても、何が写っているかは何となくわかる。プレビューやサムネイルというアイコンの領域だ。それを通り過ぎて4 x 3とか二ケタ代のピクセル数にするといよいよ元の画像の印象は姿を消して、平均化された色、だけの世界となる。最後に比率が保てなくなるが1 x 1にしてみる。元の画像が真っ赤なバラのクローズアップ、とかいうのでない限り、そのこれ以上平均化できない最後の1ピクセルは、大抵がグレーである。平均化され尽くして熱死状態のグレーである●画像における美しさ、というのはデータの特異な偏り/バラつき加減のバリエーションにすぎない、ということを痛切に感じてしまう。そんなの悪しき還元主義じゃないか、という指摘もあるだろうが、主義や価値観の向こう側に冷たく存在する数字の山、それに感情すら委ねている(分かりやすい例として電話を考えればよい。どんなにクラシックな電話機からかけたところで、交換機はすでに100%デジタル化されて数字で動いている)のが現代社会に生きている、ということなのであって、無人島で原始生活でもしないかぎり、どんなにアンチデジタルを唱えたところでその網から完全に抜け落ちることは不可能に近い●その数字の一粒を可視化したものがピクセルということになるだろう。
1999/02/06

1999/02/06 Tokyo
急遽、今月の下旬から来月あたまにかけて展覧をやることが決まったので、先々月来さんざん無意味だとか書いてきたデジタルカメラの画像のプリントをやってみることにした。予定では約100枚だがいまのところまだ20枚ほどしか上がっていない。先ごろドイツに送ったポートフォリオの時は、A4ペーパー1枚に最低でも2イメージ入れて出力したのだが、今度の展覧用としてはA4に1イメージずつで、すなわち引伸しをしなければならないことになる。1152 x 864ピクセルの元データを2304 x 1728にリサンプリングして300dpiにすると、長辺が19センチぐらいになる。寄って見るとやはり汚いが、離れて見ると彩度は従来の銀塩方式のプリント以上のものがある。しかしまあ、単体のプリントとしてはやはりつまらない。やはりどう考えてもCRTモニタ上で見たほうがよい●去年3月の個展の時もその前の時もさんざん考えたのだが、写真の展覧とは一体、何なのだろう。特に今日的なそれは100年前の写真展覧とは100%に近い意味の相違があるはずだ。ただイメージをイメージとして見てもらうのであれば、Webを待つまでもなく印刷メディアの時代にそちら側の間接メディアへ、とっくに優位は移っているのだ●古典印画技法に入れ込んでいた頃は、写真が直接間接メディアを兼ねていた時代のプリントにまとわりついていた、いわゆるアウラのようなものを今日に再現したかった。古典印画はイメージが物質とどれだけ貫入関係にあるかどうか、その度合が高いほどアウラらしきものが現れたような気がしたものだ。去年3月の個展は普通の印画紙にしたが、これとて画像と物質との結合の意識は継承された。印画紙へのフェティッシュな感覚は、一般の人はあまり持ち合わせていないものだろうが、写真に関っている多くの人々は否定的であれ肯定的であれ、必ず持っているものだ。去年3月のわたしの場合、オーバーマットをやめて2枚のガラスに挟んだ状態でフレーミングしたり、大伸ばしの上下をアルミ材で挟み込んでワイヤーで吊ってみたりした。どちらもプリントの物質性を強調しないことには、展覧の意味が自分でも納得できなかったためである。しかし、今度はいよいよそれもできない段階からスタートしなければならない。プリンターの出力紙は、それがたとえ写真印画紙より高価であってもいまのところフェティッシュな感覚の対象とはなり得ていない(それがむしろノーマルな状態であることは冷静に考えればすぐに思い当たる)。ではどうすれば展覧の意味を発生させることができるのだろうか●おそらく今度は、プリントが紙に過ぎない、という同じことをフェティッシュの反対側から言うしか方法はないだろう。プリントを比較的ぞんざいに扱うこと。つまり1点1点のプリントにタブロー的付加処理を一切施さない。そうなると線的な関係を持ったフレームの1次元的な連続配置のような構成は弱々しい。だからランダムな面的集合体としての大量のプリント群、というスタイルが自ずと立ち現れてくることになる。特に大量のプリントを同じ面に一度に提示できるのは、Web展覧と比較した場合に現物展覧の最大の優位点となるであろう。
1999/02/02

1995/04/03 Bulgaria
何年も前のネガをスキャナで読んでみる。当時はまったく興味を持てなかったコマ(自分で撮っておいてそれはないだろう)がとても面白く思えたりする。お気づきの方もいらっしゃると思うが、人間こういうことを始めると注意信号なんである(笑)。このところ膠着状態というか燃え尽きというか、何をやってもうまく進めない。昔のものを引っ張り出してはそれにまつわる記憶を掘り返したりしている。呼応するように風邪だかインフルエンザだかがなかなか抜けないので体調も思わしくない。易を立てたら山水蒙。「山下に険あり、険にして止まるは蒙なり。」水を前にして山がでーんと座り込んでいる象か。見事に止まってますねこれは。




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