H u m d r u m【 埋 没 す る 日 常 ・99年3月 】
●埋もれていく無意味な日常を無編集のままだらだらと記述し撮影し蓄積して公開することがそのまま 作品 日常となる●

1999/03/28

1999/03/27 Tokyo
●またしても出所不祥の引用で恐縮だが、バッハは生前、オルガン奏者としては認められていたが、作曲家としては大きな評価を獲得していたわけではなかったという。これは何を意味するか。バッハはパンクスであったということである(おいおい)。ロックのパンクは評価を得られているじゃないかという向きもあろうと思うが、当時と今ではメディアの伝播速度がまるで違うぞ。18世紀に生まれていたら、Sex Pistolsと言えども存命中に高い評価を得られていた保証はない。しかし別の人に言わすと、バッハはまったく新しいことを何一つやってないが、音楽のほとんどの分野で今まで誰も想像したことのなかった完成度の高い曲を作ったという。これも別の意味でバッハはパンクスであったことの証明となろう。パンクスというと語弊があるかもしれない。いわゆるニューウエイヴというところか●パンクの意味は瞬間的に燃え上がったなかば視覚的ムーヴメントの中にあるのではない。その後に輩出されたロックミュージックの拡張の中にこそあるのだ。体制反対を口にしていたはずなのにいつの間にか商業的に巨大となり、結果的にある種の体制を形成してしまったそれ以前のロックを破壊して、表現者個人の肉声と問題意識を作品にしていった新しいロック。それはその後ポピュラーミュージックとして大衆化し、あえて特定のジャンルを指すこともなくなってしまった。現代大衆音楽の歴史をひもとくたびに、パンクが転回点になっていることが強く認識されるのだ●バッハでもパンクスでもいい、そんなものの一種にわたしはなりたいなあと思ってきた。もちろんそれはあまりにも野望が過ぎるぞということも30半ばの今ではわかっているし、まあ単純に考えてもまるっきり無理な話で、だからもっと規模を縮小してこぢんまりとしたパンクスとなること、それが近年のわたしの目標であった(笑)。およそ歴史の転回点を作ることはできなくとも、せめて何かのジャンルの歴史にひっかき傷ぐらいは負わせたいものだ●今度のコラボレーション、これはひょっとして日本の写真表現(何とも狭いなあ)の歴史にトゲぐらいは刺せるかもしれない。できれば擦過傷ぐらいは負わせたいものだ。それができるメンバーの中にわたしはいる、と思っている。
1999/03/24

1999/03/24 Tokyo
●電子メールやらBBSやらを使うようになってかなりたつが、依然として直接会って話をするのが一番手っ取り早く、もっとも深い了解が得られるものと確信していた。しかし最近それがかなり揺らいできた。下で書いたコラボレーション、一方でBBS上で4人が話し合いを進めながら、その裏で堰を切ったように各自、実験とページ構築が進んでいる。走りながら考えるというのはまさにこういうことだなと思える。よく考えてみると直接会って話をして、なんてやり方は、かなりの無駄時間を費やしている。もちろん直接会うのを完全に否定する気は毛頭ない。わたしだって会って話をしたい人は大勢いるし、話をして一発で決まる、なんてこともザラにある。だからといって、何か直接会うことを至上とするあまり、視覚的な言語(つまり文字ね)による個人間のコミュニケーションを軽く見るような傾向は、まったく賛成できない。電子メールやらBBSやらという手段は、かなり加速されてはいるがむしろ古典的な手紙の範疇なのである。その電子メールまで含めた手紙、を使って順を追って用件を伝える、ということは現代人である以上、必要不可欠な行動である。いや待てよ、ひょっとしてもっとも悪いのは電話なのではないだろうか。電話は本当に野蛮だ。電話で済ます、というやり口は直接押し掛けてゴネる、という行動と相似である。なんだ結局、電話はキライだ、という話になってしまった。
1999/03/21

1999/03/21 Tokyo
●誰が言ったのか忘れてしまったのだが(わたしはこういうあいまいな引用ばっかりしているような気がする)、美術は常に最新の技術と結託して生き永らえてきた、というような一般的な了解がある。アンチ・コンピュータな言説に対抗する文脈で持ち出される物言い(つまりアンチ・アンチ・コンピュータ)であることはあえて言うまでもないが、わたしの場合、その段階からさらにもう180度ひっくり返ってて、つまりアンチ・アンチ・アンチ・コンピュータ的な態度をとり続けてきたように思う。コンピュータの力を相当に利用させてもらいながらも、それを祭り上げる方面も、それをたたく勢力に対抗する方面もキライだあ、なんてのは要するに、ズルいのだなあと正直なところ考えている●もう少しストレートに言わないとダメだ、と言われたらどうしよう。おまえはコンピュータが好きなのか?いやあ、コンピュータがらみで食わせてもらってるもんで否定する気はないんだけど、本たぁやりたくないっすねえ。ダメだダメだそんなどっちつかずなのは許されんっ!●唐突で恐縮だがここで次のプロジェクトの予告。今度はWeb上のコラボレーションだ。4月1日から30日間。参加メンバーが豪華。谷口雅、小林のりお、蓑田貴子、プラスわたし。そう、わたしがいちばん無名だ(そしていちばん若いぞ)。「デジタルカメラ→Web」という生まれて間もないメソッドは写真の歴史に何かヒッカキ傷でも残すことができるのか。あるいは紅茶キノコで終わるのか。これだけの人たちがまともに取り組んでも時代は何も動かないものなのか。それとも?●冒頭の話に戻る。わたしの考えはこうだ。もともと技術と美術(芸術)は一緒のものだった。これは間違いない。だとすると最新の技術から遠い美術ほど、実は本来の美術から離れていること言うこともできる。さらに伝統や権威だけを振りかざす行為が美術であると勘違いされるようになってしまっているが、伝統や権威なんてのは後からついてくるしっぽのようなものに過ぎない。現代に生きて美術の切り端の部分を目指す者は、どうしてもコンピュータとつきあわなければいけないというのは、こりゃもう自明だろう。
1999/03/15

1999/03/15 Tokyo
●窓際の仕事机の上、天井とのわずかなスペースに二枚の古いイコンの模写が掛っている。仕事に煮詰まるとこれを見上げてため息をつくことになる。別にわたしはキリスト教徒であるというわけではないので、信仰の対象としてこれを掛けているのではない。視覚表現のひとつの極限スタイルとしてのイコンにとても惹かれるものがある、という単純な理由で身近に置いているのだ。詳しく勉強したわけではないのでいい加減なことを言ってる、と指摘されるかもしれないが、とにかくオルソドクス(いわゆるギリシャ正教)におけるイコンという様式は大変に微妙なバランスで成立した。カトリックでは平気でやることになる神や聖人の姿の三次元表現を拒否し、さらにお隣イスラムの偶像否定主義から激しいプレッシャーをかけられ、二次元のしかもあえて写実から遠ざかるというぎりぎりのスタイルに逃げ込んだ(ように思えてならない)結果として生み出された、異様なまでの力強い存在を感じさせるスタイル。何だかとてもいとおしい●それにしても何とわれわれは遠いところまで来てしまったのだろう。その昔、修道院の奥で修道士たちが一筆ごとに祈りの言葉を唱えながら描き上げた視覚表現物と、デジタルカメラで撮影してその直後にモニタ上に写しだされる視覚表現物と。そんなもの同士を比較する方がどうかしているのだが、その間に横たわる長い長い時間を想うと気が遠くなりそうだ。それで問題は、デジタルカメラを持ってしまったわれわれに一体何ができるのか、というところにある。よーく考えてみたい。
1999/03/08

1999/03/07 Tokyo
●どうしてWeb上の活動が美術の行為(いわゆるアートとよばれるもの)になりにくいか、ない知恵を絞って普段からいろいろと考えている。今までに思いついた理由を二つほどメモしておく。【1】コケオドシがやりにくい・・・たとえば美術館で縦4メートル、横5メートルなんていう写真を目前にすると、人は「おお!アートか」と無条件で納得してしまう。その展示を成し遂げるまでのプロセスこそがアートだ、なんていうのは美術にビジネス原理を持ち込む理屈から派生する物言いだ。たとえば「大きさ」のようなコケオドシは昔から美術に必要不可欠な条件であったことは、資本主義以前の美術がどのような政治力に寄り掛かって成立していたかを思い起こせばすぐにわかる。それはそれとして、ではWeb上でのコケオドシはどうやれば成立するか。送り手だけがガンバってもダメ。受け手にも送り手と同レベル以上の受容環境(コンピュータの処理スピード、ネットワークの転送スピード、ブラウザのバージョン、プラグインやら何やら)がなければいけない。この構造は、一般の人にWeb上の表現というものへの接近をとても難しくしている。わかる人しかわからない、という印象のある現代美術よりもっと、Web上の表現はわかる人にしかわからない。今のところ。【2】舞台裏が丸見え・・・美術行為および美術家(作家)という存在は、ある種の神格化、ベールにつつまれたような神秘化をもってその価値とされてきたきらいがある。作家が作品を作り出すまでの思考、プロセスといったものはたとえば作家の死後、研究者によって日の当たる場所に持ち出され、人々はそれをありがたい物語として理解しようとする。ではWeb上ではどうだろう。作家が作品を作り出す速度と同じ速度で人々はそれを追いかけることができる。何を考え、何を受け入れ、あるいは何に反発し、どのようにして作品を組み上げていくか、ほぼオープンになってしまう。昔から作品制作には孤独が必要とされてきたが、Web上ではリアルタイムに「がんばってね!」コールが飛んできてしまう。本当の意味で作家は孤独になれない。しかも作家という人種は大体において誰かに自分をわかってほしい、という願望が人一倍強いから、Web上の日記なんて喜んで書いてしまう(ここもそうですね)。かくして作家の神秘化はWeb上では起こりにくく、その生産物は「ありがたい」美術としては受容されにくい。・・・・・・以上二つの簡単な考察は、けっして悲観的なニュアンスで書かれたものではない。Web上で表現を続けていくためには、Web上での表現の特性というものを把握しておく方が楽であり、従来型の美術と一線を画す必然性をそのようなところから意識化していこうという、何だか建設的な気分からここに掲げておくものだ。
1999/03/06

1999/03/06 Tokyo
●グループ展が3/3に無事終了。多くの皆さまのご来場ありがとうございました●XTCの7年ぶりの新作 "Apple Venus" を聞きながらこれを打っている。初期XTCのはじけるようなパンクな音(もう20年以上!も前の話だ)は当然、もう期待できないわけだが、何よりレコード会社とケンカしながらでも自分たちのやりたい音楽を貫き通して今に至るその姿勢こそがパンクそのものであると言うことができるだろう。パンクとはロックの一つのスタイルというよりは、意志というものを保持するやり方の一つであることを理解させられる。しかし前作が出たのは7年前、たしか借り物のMacintosh IIcxをいじくり回していた頃によく聞いたような記憶がある●睡眠不足の日々を送っていたらまたカゼをひいたようだ。微熱があってモウロウとしている。




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