H u m d r u m【 埋 没 す る 日 常 ・99年4月 】
●埋もれていく無意味な日常を無編集のままだらだらと記述し撮影し蓄積して公開することがそのまま 作品 日常となる●

1999/04/22

1999/04/21 Tokyo
●わたしは狭く、限定したジャンルの行動は指向しない。いや実は、やりたくともできないというのが正しい。今までもずっとそうだった。機械工学、デザイン、写真と来ているがどれもはみ出す部分が50%を越えてしまうようで、真当にそのジャンルでプロパーにやって来た人たちとどうも話がかみ合わない。つまり現代人(わたしは何々です、とはっきり確定することができるのが現代人の条件の一つである)としての素質に欠けているのであろう。どこにも居場所のない、Nowheremanということになろうか●おまえは引出がいっぱいあるから、という褒めたとも哀れんだともつかぬ評価を受けたことがある。喜んでいいのか悲しむべきなのか、わからなかった。引出で唐突に思い出したのだが、子供の頃、自転車でダンゴを売りに来るおっちゃんがいて、注文に応じてゴマ、あんこ、しょうゆだれのどれか一つをヘラで塗って渡してくれたものだ。自転車に積んだ商売道具にはそれぞれの小引出があって、おっちゃんはその都度小さな引出を開けたり閉めたりして楽しそうに仕事をするのである。引出というもののわたしの原体験なのだろう●わたしの好きなダンゴは、片面あんこで片面しょうゆ、というオーダーだった。今考えると気持ちわるい。
1999/04/16

1999/04/14 Ibaraki
●カール・ユングは易を立てるときに、彼の別荘のあるチューリッヒ湖畔の葦を筮竹として用いていたという。それにあやかろうというわけでもないが、水曜日は利根川中流域の河原に葦を切り出しに出かけた。もちろんついでに水門も撮影しようという目論見である。易者がじゃらじゃらやってる、あの竹のことを筮竹と呼ぶのだが、実は50本必要なのである●特に意味もなく右岸で25本、左岸で25本切り出すことにした。右岸で程良い長さのやつを25本切り出してから左岸に渡り、水門を3つほど撮影して残りの25本を切り出す。太すぎず細すぎず、かつ節と節の間隔が適当に長いものは結構、探すのに骨が折れる。折からの菜の花が咲き乱れる誰もいない夕方の河原で、だんだん乏しくなる光によってシャッタースピードが遅くなるのをむしろ楽しみながら、デジタルカメラのシャッターを押し、そしてまた葦を探す。親指の爪が伸びていて、葦を折るときに折れ曲がって邪魔になるのが気になる。2月の撮影旅行の時からカメラバッグに爪切りを入れっぱなしにしていたのを思い出し、水際に出て爪を切ることにする。利根川に流れていく自分の爪を見る。たとえ一部であっても、体を川に流して葬ってしまう、という行為は必然的にガンジス川的風情を呼ぶわけで、われながら妙なことをやっているわいと思わず苦笑してしまう●晴れたり曇ったりしていた空が妙な光の加減になってきたのに気付く。西の空の下の方から強烈なオレンジ色の斜光線が差し込んできたのだ。夢中になってシャッターを切りながら歩く。基本的にかなり暗くなっているから、菜の花を撮れば必然的に流れる。調子に乗って流しまくる。完全に思考が飛んでいる●その時いきなり、閃光とほぼ同時に頭上で大きな雷鳴がとどろいた。さすがに肝をつぶしたが、同時に割と冷静にやばいな、とも思った。こういう場合は金属物をすべて放り投げ、低いところに伏せなくてはいけないのが作法だ(笑・・・今だから笑ってられるということもあるが)。しかし、極めて幸いなことに、大きな橋の手前100メートルぐらいに来ていた。前の水門から本当に何もない河川敷を2000メートル以上歩いてきているから、助かった、と言える。橋の下に入った時に大粒の雨が降りだした●雨が止んで雷雲が東の方向へ抜けるまで、結局40分以上、橋の下に居た。いろいろ考えたが、やはり死というのは案外、近いところにころがっているのではないか、ということが大半であった。生身の人間が雷雲直下の何もない河川敷にさっきまで立っていたのである。しかも金属質のものをたらふく身に付けて。高確率で落雷をくらう可能性があった、ということだ。
1999/04/12

1999/04/08 Tokyo
Web Foto Collaborationが進行中。準備段階の気負った感じもすっかり抜けて、メンバー4人とも普段のページ更新と同時進行で淡々と写真を積み上げたり崩したりしている。日常を同時進行で展示していくことができるというのはキツいけど面白い。しかしこれまで日常と題してギャラリーで展示したり月刊誌に載っけたりなんてのはまあ、日常を標本にして非日常化した状態で見せていたに過ぎなかったのだなと思う。でも日常をそのまま日常の中で見せたら面白くもなんともないじゃないか、なんてのは、これからは感覚的に古い物言いになるだろう●死ぬまでこれを続ける、というのもちょっとしんどいかなあとも思ったが、よくよく考えればそれはそれで何でもないかもしれない。そう、生きることと写真(画像・データ)を積み上げていくことが同義語になってしまえば何でもなくなるはずだ。




←【99/3月の日常】へ

microtopographic web + jsato.org
Copyright (C) Sato Jun Ichi 1999