H u m d r u m【 埋 没 す る 日 常 ・99年5月 】
●埋もれていく無意味な日常を無編集のままだらだらと記述し撮影し蓄積して公開することがそのまま 作品 日常となる●

1999/05/30

1999/05/30 Tokyo
●ただ一言。ガラクタとの戦い(笑)。
1999/05/29

1999/05/29 Tokyo
●土曜日、午前2時6分。展覧会の予定は全くなく、進行中のプロジェクトも一時頓挫状態。それでも日付だけは毎日欠かさず撮り続けている。時の進行スピードはどうしようもなく絶対一定で、その確固たるシステムには手も足も出せない状態。くやしいが時の流れに抗すことは誰もできやしない。誰もが1日24時間、という至極平等な配給に甘んじているのだ●今は一番きつい時でもあるような気がするし、同時に一番気楽な時でもあるような気もしている。こんな季節、梅雨前の最高の季節にあっては今までに旅したあちこちの街のたたずまいが思い出されて仕方がない。下関、新潟、帯広、麗水、アンカラ・・・思い出す順番も場所もぐちゃぐちゃだ●それより何より引っ越しを前にして、あと数週間後にわたしの知らない誰かが、この場所、今わたしが座っている場所に座っているだろう、という確実な予測がどうにも気になって仕方がない。賃貸住居である以上、仕方のない現象なのだが、どうにもこうにも、にわかには納得しがたい。感覚がむちゃくちゃに乱れている。何とか落ち着かなければいけない。
1999/05/24

1999/05/24 Tokyo
●何年かに一度ぐらいのペースで、山道を歩いていると突然視界が開けて海や大河が現れる、という夢を見る。あるときは霧の中の静かな海だったり、強風と強い光の中で真っ白な飛沫が足元をすくうような海だったり、する。今朝見た夢は、大河だった。一見黒い海のような水だったが、よく見ると対岸が見えるので川なのだろう。黒いと思った水は実は透明な深い緑色の水で、光の拡散がほとんどないために黒く見えるのだった。自分はというと山道を上りきった牧草地のようなところに立つ、小学校だか中学校だかわからない大きなコンクリートの建物の中から、その川を見下ろしていた。階段の踊り場にある掃き出し口のような細長い窓を通してだ。もちろんカメラを持っているわけだが、今回は現実を反映してデジタルカメラだった。そしてどうしてもシャッターが切れなくて焦る、というお定まりのパターンを経て目が覚める。
1999/05/22

1999/05/22 Tokyo
●引っ越し。明日から月末にかけて、何と3回に分けて、やる。そうしないと荷物を出すことができないのだ(笑)。箱詰めの場所すら確保できないほど、物があふれかえっている。4月のWeb Foto Collaborationで毎日見ていただいた通り、もう混乱の極みにある部屋なのである。9年間の物の蓄積との格闘が始まっている。とても気が重い。この窓から見るつまらない風景、これともあと少しのつきあいだ。それだけが何となくうれしい。
1999/05/05

1999/05/05 Iwate
●堤防上を歩きながらいろいろ考える。何か気の効いたことを思いつくがすぐ忘れてしまう。連日の雨で増水した川がすべて流し去ってしまうのかもしれない。いやいやそんな文学的なことを言っている場合でもなかろう。川沿いに歩いていると10kmや20kmはすぐに歩けてしまう。そうすると思わぬ場所へ出てしまって帰って来るのに苦労する。困った行動特性だ。(盛岡市内のホテルからupload)
1999/05/03

1999/05/03 Fukushima
●移動しながらものを考える、というのは、家にいて静止した状態でのそれとは何か根本的に違う。普段それを意識するということがないのは、移動と同時にそれを記録するという手段に乏しいからである。東北新幹線の車内。さっき白石蔵王を通過したところ。(仙台駅停車中にupload)




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