H u m d r u m【 埋 没 す る 日 常 ・99年6月 】
●埋もれていく無意味な日常を無編集のままだらだらと記述し撮影し蓄積して公開することがそのまま 作品 日常となる●

1999/06/28

●引越しとその前後のゴタゴタで習慣がすっかり狂ってしまい、このところずっと川へ行ってない。ちょうど梅雨で、いつも川の中にいるようなもんだし、まあいいか〜なんて思いながらあちこちの写真サイトを見て回っていたら大変なことに気が付いた。何とWebには「季節」があるのである。いやいやこれじゃ読んでいる人は何のことやらさっぱりわからんな。詳しく書こう●どのサイトの写真も、ちゃんと梅雨(あるいは梅雨という季節)が写っているのである。ちゃんと更新を続けている日本国内の写真サイトなら、至極当り前の現象に違いない。あまりに真っ当すぎて、言葉で説明することすら不可能な気もする。では一体どうしてそんな当然を大変なことと感じたのだろう●リアルタイムで撮影〜即〜公開可能であるメディアということ。それが個人の手に入っているメディアであるということ。要するにそういうことどもがベースになってるんだけど、これを頭で理解していただけなら雨の写真を見ていちいち感動するには至らないぞ多分。じゃあこういうことか?Webというものが季節と同じレベルまで無意識領域へ浸透してきて、ついに「体感」の対象になった、ということ?まさかねえ●しかし待てよ、メディアの存在感(プレゼンス)が体感の領域まで降りてくるような感じ、というのはこれがはじめてではないような気がする。そうだ、ラジオだ。ラジオの放送の内容は頭で理解するけど、音質は体感だ。音色(つまり周波数特性)の違いは体感で受けるものなのだ(8年も前の話で恐縮ですが、これを参考にしてください)●どこかでラジオが鳴っている感じ、というのが今までWebというメディアでは感じられなかったような気がする。しかしさっき感じたのはまさにこれだった。どこかで雨の写真が写っている感じ、だ。どうもまだ説明がちょっと変だ(笑)。無理に名前を付けるとすれば、空気感とでも言えばよいのだろうか。
1999/06/22

1999/06/21 Tokyo
●今、サーバ、を作っている。サーバとは普通は借りるものだが、今のわたしにとっては「作る」ものだ●で、何のサーバ?(答)メールサーバ、Webサーバ。自分の自宅の仕事場の、机の上に置いてあるサーバに、この世のあちこちから直でアクセスしてもらうつもりだ●買ってきたばかりの新品のPC。温度によってファンが回ったり止まったりしてせっかく静かなマシンに仕立ててあるのをたたき割って、シコー電子製の国産品の強力ファンをつっこむ。しっかりうるさくなった。よしよし。サーバのファンは強力でなければならないのだ。静かなサーバ、なんてのは自己矛盾なのである。そう、何事もクールに行かなければならない●OSは勝手知ったるFreeBSD。巷ではペンギン系OSが大流行だが、クールなわたしとしてはやはりデーモンちゃんに働いてほしい。デーモンちゃんは実に働き者でクールだ●専用線を申し込んだ。開通は8月2日の予定。Webを始めて4年。まさか自前で専用線を持つとこまで行くとは想像もできなかったぞ。もっともあと数年で常時接続なんて当たり前になっちゃうだろう。それはそれでよい。いやそうならねばならぬ。つないだり切ったりするようなネットワークなんて本当のネットワークではない。例えば冷蔵庫がついたり消えたりしては困るだろう。それとおんなじだ●あれ、何やってんの?お前ドイツに行くんじゃなかったの?という質問が来る前に書いておく。ドイツ行きは延期です(爆)。当分、日本でバリバリします。
1999/06/13

1999/06/13 Tokyo
●とてもうれしいページがある。わたしの水門プロジェクトは世の人に水門を見に出かけてもらうのを目的としてやっているのだが、何とそれを本当に実行してくれた人がいるのだ。「水門をみにいく」をぜひ見てほしい●さて、お前が今、一番に問題にしていることは何だ、と聞かれたら、やはり時間のこと、ということになるのだろうか。Daysプロジェクトは、日付を7進法でくくっている、つまり1週間で1ページ進むわけだが、普段は時間を週で計ることがないだけに、今週は1999年の25週目に当たる、という数字の出方がちょっと新鮮で面白い。だからどうした、と言われれば付け足して返す言葉は何もない●まあ75歳まで生きるとして、自分の一生って一体、何週間なのだろうか。365掛ける75割る7、という単純計算をすれば3911週間と出る。4000回目の土曜日(わたしは土曜日生まれなので土曜日と言っているが別に火曜でも金曜でもかまわない)は迎えられない確率の方が高いのだ。全部で3911回の日曜日のうち、1877回目の日曜日がもうすぐ終わる。残り約半分か。
1999/06/09

1999/06/09 Tokyo
●部屋という空間。面白いものだなとつくづく思う。人によって部屋の機能はいろいろ違っていてよいのだが、わたしの部屋を考えてみると、内部記憶装置(つまり脳みそ)の拡張と、感覚器官(つまり眼や耳)の延長と、機械的な器官(つまり手足)の延長、がみな渾然一体となった物質のカタマリ、というようなものであると言えるようだ。何のことはない、肥大した自分の体が自分の部屋だった、というわけだ。自分の体の拡張の中にいることが心地よいということは、自己完結的な、マスターベーション的な事態であるなあなどと考えてたら、ちょっと気持ち悪くなってきた。
1999/06/05

1999/06/05 Tokyo
●引っ越しというものは、実は引っ越してからが大変なのである。荷物の山からようやく首が出た感じだが、モニタが出せてないのでいまだに液晶画面にPHSという組み合わせだ。旅先からアクセスしているのとほとんど変わらない感覚なのだが、Daysプロジェクトの更新だけは毎日やってて、そのため一方では日常が連続的に流れて続けている感覚もある。依然としてJRの駅の方が近いことに変りはないのだが、西武の駅に何百メートルか近くなったので、そっちで降りて新しい道を探しながら帰ってきたりしている。非日常と日常のごちゃまぜ感覚。はやく環境を整えて先に進みたい気持ちと、本棚の裏に回り込んでいた古い本など読み返したい気持ちとが拮抗していて、ちょっと不安定な心持ち。




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