H u m d r u m【 埋 没 す る 日 常 ・99年10月 】

1999/10/11

1999/09/30 Tokyo
●コラボレーション開始まであと3時間を切った。23時59分59秒に、トップページのファイル名を本番用に書き換えるだけでスタートだ。展示開始前の不思議な高揚感がある。ライブの直前のような●1999年10月11日現在、もはやWebで写真を展示することの実感のなさ、というのはほとんど問題にならない気がしている。アクションに対する反応は思いもよらない形で、ほんの少しずつの積み重ねとして、確実にある。従来のスクエアな構造は少しずつ崩壊しているし、まったく別の柔軟な構造が弱々しいながらも組み上がりだしている●何よりも今、われわれは、あきらかに[つながって]いるのだ。
1999/10/01

1999/09/30 Tokyo

1999/09/30 Tokyo
●旧式のデジタルカメラをずっと使ってきた。旧式と言っても2年前の最新モデルであるから、いわゆるクラシックカメラというイメージではない。10月12日からのWeb Photo Collaborationに向けて、という意味もあり、そろそろ新しいモデルに切り替えたいと思っていたのだ。ところが最近、具体的に言うと200万画素の普及モデルが登場したあたりから、全くといっていいほど欲しくなるデジタルカメラがない、という事態が続いている。このことは最初、単純に自分の選り好みが現行機種とたまたま一致しないだけなのだ、とばかり思っていたのだが、よくよく考えてみると、デジタルカメラという存在が大きく変化していること、つまりある種の構造変化が原因であることに思い至った●初期の普及機デジタルカメラ、たとえばまだ使っているが95年発売のCASIO QV-10のようなモデルは、今考えるとかなり独創的な画像キャプチャマシンだったと言える。これは極論すれば、デジタル方式のカメラを作りたくても、普及価格帯ではこんな程度のものしかできませんよ、でもこれでも面白いでしょ?的な商品企画+設計思想で 作られたデジタルカメラであったのだ。しかし、従来の銀塩写真画像とは比べものにならないほど低品位な画像に、新しい写真の可能性を見てしまったのはわたし一人だけでないはずだ。いやむしろ、よく言われる「適当に撮って気に入らなきゃ捨てちゃえばいい」的な撮影ポリシーにこそ、新しい写真の発生する可能性が秘められていたと言った方がよいのかもしれない●しかしその後から今に続く、大変な技術の進化とデバイス価格の低下は、普及価格帯のデジタルカメラをもってして、従来の銀塩写真画像と比較しうる品位の画像を生成できるような状況に至らしめることとなった。それによってデジタルカメラの設計目標というか想定するターゲットが、確実に銀塩カメラに固定されてしまったが現在の姿であろう。プリンタ出力を見て、「写真と区別がつきませんね」なんて言わせること、それがメーカーの設定する到達目標点になってしまってたのである●まあその恩恵にあずかっている一人として、それを批判することは考えていない。でもやはり割り切れないものをまだ、抱えていることだけは確かなのだ。谷口雅さんのページにあるように、今の段階ではデジタルカメラはおもちゃなのであって、デジタルカメラが十分に発達しきった段階に至れば、銀塩方式で撮ろうがデジタル方式で撮ろうが、その違いが写真の本質を変化させることがない、というようなコメントは、たしかに説得力がある。現実に世の流れを見るとそっちの方が本流であることは決定的になってしまった。歴史の中でいつも技術の変化するポイントで起きてきた[ざわつき]現象が、また起きただけのことだったのかもしれない。しかし「おもちゃ」の段階に可能性を見てしまった、本流から外れた人間もいることはまぎれもないリアルタイムの事実であろう●そう、このままデジタル媒体で画像を流すことを続けていると近い将来、写真という名の看板をおろす必要が出てくることになるだろう。それは映画の電子的な模倣として生まれたビデオが、いまでは表現のカテゴリーとして完全に映画と独立した領分を作り出したのと同じ現象だ。しかし写真の場合、映画とデジタルビデオの間にあったアナログビデオという段階が抜けている分、その相違は大きく、その分離にまつわる[ざわめき]もまた激しいことだろうと思う●で、文句言ってても仕方がないので昨日、新しいデジタルカメラを購入した。迷いに迷った末、選んだ一台がすでに生産が終わっているモデルであったのは、何ともわたしらしいことだわいと笑ってしまった。そのカメラで撮った一枚目のデータを載せておく。いきなりこんな撮り方してると初期不良のチェックにならないぞ(笑)。




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