H u m d r u m【 埋 没 す る 日 常 ・99年11月 】

1999/11/30

●たまたま年末にかけて生業の方が極めて忙しくなってしまい、またほぼ同時に頭の中の抽象傾向が高まったこともあって、Web上の活動の勢いが落ちてしまった。しかしスタートしていつのまにか1年が過ぎていた日付写真プロジェクトだけは、不思議なことに何のストレスもなく続いている。惰性で撮っている、というのとも違う。同じものばっかりで飽きた、という声も聞こえるがそれはもっと違う(もし毎日電車に乗っているのであれば、毎日同じように切符を撮りたいとすら思っているぐらいだ)。では撮る対象には意味がない、撮る行為にこそ意味がある、というのかというと、それもまた違うのではないか。もしそうならばカメラでなくて、ハンディコピーかなんかで続けた方がずっと明確に意図が見えてくることになる●わたしの知っているサイトでも、このところ「毎日更新」する人が増えているような気がする。この現象が本当だとすれば、その中に、個人におけるWebというメディアが今後指向していくであろう方向の、何らかの手がかりがあるとわたしはニラんでいる。毎日毎日、意識的に何らかの一次情報を産出するということが、その人に長期的に与える影響というものがありはしないか。時間に対する認識に何らかの変化が起こるのではないか。その結果としてもっと大きな枠としての、歴史認識も変わるのではないだろうか。そこまで行かずとも、少なくとも自分が今、生きていること、生かされていることを常に意識の中核に据えることを続けていくことは、何か大変なものから目をそらさないという態度を生むのではないだろうか●いずれにせよ時間が音を立てて流れていくことを感じるというのは、よいことのような気がする。
1999/11/11

●CRTが終わってから、いや正確に言うとやっている最中から、写真からの離脱ということを考えていた。自分がネットワークの上で展開していこうとしているアクションは、今までパッケージとして写真という概念をかぶせていたわけだが、よくよく考えるとそれがどうも様々な「足かせ」となっていることが見えてきたからだ。何だかよくわからないものを曝す時に、パッケージングは大切であることは間違いない。ただしある段階以上になったとき、パッケージを借りた了解がむしろ足を引っ張って、アクション自体がそれ以上先に行くことを妨げてしまうことがある。どうやらそういう局面にさしかかってきたと思われる●離脱は垂直方向に行われるのが常である。今までタブーとみなされてきたことをやってみる、ってことだ。しかし、それとてかなり危うい。たとえば、スティーグリッツに始まる現代写真、「ストレートフォト」で定義されたそれに異を唱えれば、それは写真という体制内での小規模な離脱に終わってしまう。さらに写真を完全に脱ぎ捨ててしまったとしても、その瞬間から視覚芸術という写真の外側の体制に包含されるだけである。それでは80年代以降の写真を使っていろいろなアーティストたちがやったのと、まだ同じ地平をうろうろしていることになる。この水平構造はおそらくここ数十年、ほとんど変化していないだろうと思う。そこからの垂直方向への離脱、これは極めてむずかしいように思える。でも誰かが必ずやっちゃうことだろう。それも今後数年以内に、だ。考えてみれば面白い時代に生まれたものである。




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