FAOC2

Ferry Across the Onomichi Channel 2


初出:「42stations」第4号/cabin searchers/1991
元題:浮き桟橋で手を振る、船が停まる
加筆・再構成:1997


Onomichi cannel



1  古 い 船、 ヘ ヴ ィ メ タ ル な 古 さ





 やってきたのは《古い船》だった。
 その古さは、この部分が古い、あの部分が古い、などといちいちカウントしていかなければ納得できないような、チープな古さではなかった。もう見た瞬間に、いやおそらくは「それは船である」という視覚を使った認識が脳で結像するよりはるか前に、古さだけが通過する特急電車のように抜け駆けして、先に脳に到達してしまっている、そんな古さだった。ヘイ、これは古いものさ!おーいぇい。とカラダ全体でずっどーんと感じるような、ヘヴィメタルな重低音的古さだった。

 ぼくはデッキより低いキャビンへ、木の階段を数段降りていった。それは階段というよりは縄梯子でも降りていく感じのする、たよりない急角度の階段だった。狭い通路の両側には、濃いグリーンのビニール張りの木の長椅子が5、6脚ずつ並んでいて、その奥の仕切壁の向こうは、狭いカーペット敷きの座敷だった。通路の突き当たりには同じ形のたよりない階段があって、その前で家庭用の石油ストーブが燃えていた。奥へ進むにつれて、何かが足元でぱきんぽきん、と折れて、そこから古さがしみ出してくるような気がした。内部空間は外とは別のタイプの古さが支配しているようだった。
 先客のおばちゃんが2人。ぼくと同じ港から乗り込んだのもおばちゃんが3人。運賃を集めに来たのもおばちゃん。先客のおばちゃんのうちのひとりが、実におばちゃん的話しかけ方でぼくに話しかけてきた。

 しばらくしておばちゃんたちとのおばちゃん的会話が途切れたとき、ぼくは大きく首を振って船内を見回してみた。船内は色が消えかかっていた。ぼくは何だか高速道路のトンネルの中にいて、オレンジ色のライトの下でひとりぽつねんとストーブにあたっているような虚無な気分になった。ストーブの赤黒い炎だけが古い怨念のように存在を主張していた。
 そして突然、何かがぱちん、とはじけたみたいになって、ぼくの気分はほとんど泣きたいぐらいにまで揺らぎ始めた。ぼくはいつのまにか深い深い井戸の中から何かを汲み出しているようだった。汲み出した液体はねっとりとして、くろぐろとしていた。
 その液体は、なつかしい味がした。日常レベルで感じるものより100倍ぐらい濃い、なつかしさの原液だった。もっともぼくはかつてこの船に乗ったことは絶対にないのだから、なつかしいという表現はフェアではないと思えた。そこで正直なぼくは、その烈しいなつかしさを視覚以外にまで拡張された既視感、全身で感じるデジャ・ヴュ、といったあたりに、とりあえず仮定してみることにした。
 それでもぼくは混乱したままだった。仮定はあくまで仮定に過ぎないのだ。この感じは何であるか、という確定ができない。何だかわからないけど、とてつもないものを汲み出してしまったことだけは確かだった。脳細胞のずーっとずーっと奥に静かに封じ込められていた記憶の沈殿物(それは記憶という明確な形をとれるほどはっきりしたものではないようだったし、ひょっとすると自分が生まれる前からうっかり持ってきてしまった、ある種の情報なのかもしれなかった)を誤ってかき混ぜてしまったようにも思えた。

 酸っぱいような渋いような何かがぼくの頭の中でぐちゃぐちゃに拡散しはじめた。ぼくはワインの瓶になっていて、誰かがぼくをめちゃくちゃに揺さぶっているのだ。底に溜まったおりが舞い上がる様子を、ぼくは思い浮かべた。



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