2  歌 、 特 殊 部 隊 の 兵 士



Uta-Tozaki


 その日。
 その古い船に乗るまでに、ぼくはたて続けに6本の渡船に乗った。まず尾道水道をフェリーで縫い合わせるように調子よく2往復半した。尾道水道というとても軽微な、しかしとても明確な境界線を越えるフェリーは、どういうわけかみんな似たようなかたちをしていた。締めくくりみたいに、向島の東のはずれの「歌」という場所から対岸に渡った本日6本目の船だけは、船というよりはまるで愛玩用の家畜みたいな、フレンドリーな乗り物だった。

 歌。不思議な地名だ。歌にたどりついたぼくは、朝でも昼でもない宙ぶらりんの時間の桟橋に立ってみた。そこの景色は、歌、というひっかかりを持つ地名に対しては、明らかに役不足な凡庸な眺めに思われた。もっともそれは瀬戸内海的凡庸さであって、たとえばこの桟橋の周辺1平方キロをこのまま東京湾のどこかの海岸に持っていったら、それは歌という地名に負けず劣らずひっかかりのあるものになるだろう。そりゃあそうだ。風景というのはそういう性質のものだ。
 桟橋やその周辺には、対岸に渡る渡船があるなんていう表示はなかった。そこでぼくは、桟橋で黒い何かが詰まったカゴを漁船から上げる作業を手伝っているおばちゃんに声をかけてみた。黒い何かはぬれた海苔のようで、それはとても重そうに見えた。

「ここからあっちに渡る船がありますよね」
「んー、あるよ。そうだねえ、あと2分ぐらいかねえ」

ぼくはこちらに向かってくるように見えた小さなモーターボートを指さして、

「ああ、あれですね」
「違う違う。ほら、そこにつないであるやつ」

 おばちゃんが指さしたのは、ぼくがさっきからひょっとしたらこれ渡し船か?いや違うよな、と思ってその属性の推測を半ばあきらめていた、桟橋のはずれにつながれた小さな船だった。それはどこか工業地帯のうす汚れた川の、河口のあたりにでもつながれていたほうがしっくりするタイプの船だった。2分たって作業を切り上げたおばちゃんは、飼い犬を散歩につれていくような調子で綱を解き、勢いよく船にとび移ってエンジンを始動した。

「さあ、行きますよ。乗って」

 大きな貨物船が通過した直後の「戸崎瀬戸」をおばちゃんの船は文字通り木の葉のように大きく前後に揺れながら横切る。どんぶらこどんぶらこ。貨物船の置いていった波を一つずつ乗り越えるたびに、船首が波を切り裂いてしぶきが顔にとんできた。140円払ってぼくは戸崎の桟橋に飛び移る。何だかヘリコプターから敵中深くに降ろされた特殊部隊の兵士のような気分だった。グッドラック。あとはひとりでがんばるのよ。ばらばらばらばら。

 おばちゃんは、こっち岸は潮が速くて船をつないでおけないのでと言って、すぐに船を戻しにかかった。その時大きなフェリーが近づいてきた。おばちゃんの船はフェリーを避けるように大きくまわりこんで歌へ帰っていった。その動きはまるで大きなマンモスから逃げまどいつつも、わんわんほえたてる健気な飼い犬のように見えた。人間のもっとも古くからのおともだち。大きなフェリーは接岸するかしないかのうちに、正面の車が乗り降りする大きな口を開けた。そして小さな子供を自転車に乗せた母親だけを降ろして、あっという間に離岸した。母子の自転車はすぐに見えなくなった。

 ぼくはひとり、とり残された。今まで調子よくある一定のスピードで流れていた時間が、ここへ来ていきなり失速したようになった。がくん、と音をたててぼくの気持ちはつんのめった。



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